東大新聞の広告セールスのコミッションで年に50万円強の収入があった
この間にできた人間関係も捨てがたい
⇒就職しない道を選んだ
自営の大学新聞広告代理業でスタートした
当時広告業はステータスが低かった
事務所は
教育学部の先輩の
森稔さんが学生時代に建てた最初の森ビルの
屋上の物置小屋を借りた ⇒月額7000円
大卒初任給が1万2000円の時代
一年で百万円近くの利益を手にした
リクルートの仕事は当時の需要を見事に掘り当てたのか
最初から
利益が出たという話
昭和35年というと高度経済成長真っ盛りというところ
起業するには最高のタイミングだったのか
人脈はほとんど学生時代のもの
そう考えると起業するためにもいい大学に入るのが大事ということになる
【おまけ】
連休中のテレビで
フジテレビのバラエティ「めちゃいけ」の16周年記念の番組をやっていた
放送当時見ていた「爆裂お父さん」という加藤浩次のコーナーは相変わらず面白かった
その番組で
ナインティナインの岡村が
ゴルフのショートコースでとんねるずの石橋とホールインワンに挑戦するという企画をやっていた
通常ホールインワンは15000球に一球というほぼまぐれの世界
さすがに、成功せず
もうあきらめかけた
最後の10球で見事に岡村の放ったボールはカップに吸い込まれた
やはり
「何かを持っている人」はいるのだろうか
そんなことを感じさせられた瞬間だった
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