カルタゴの脅威の大きさに対するローマの認識が、概して、第一次ポエニ戦争におけるローマの戦略を形成した。
西地中海におけるこの二大勢力の間には、ローマがイタリア半島で足場を固めた時期のはるか以前から接触があった。
前6世紀の末に共和制に移行した直後のローマとカルタゴは協定を締結した。
その協定は完全にカルタゴに有利な内容であった。
1)チェニス湾の南方と西方の航行の禁止
2)カルタゴの使者の立ち合いなしにリビアやサレディニアとの間に協定を結ばない事
3)カルタゴはラツィオ地方のいくつかの街の攻撃を差し控えた
この時代、カルタゴは、イタリア中部地方に影響を及ぼそうと試みていた
前348年に協定を改定、カルタゴは内容を大幅に硬化させた。
1)イタリア商人は、サルディニア、リビア、そしてチェニス湾からスペインのマスティアにいたる西地中海から締め出された
2)カルタゴは西地中海をカルタゴの湖に変えた
カルタゴは船舶の建造と兵士の徴集に必要な財源を関税により賄っていた
ローマと違い海外で従軍するカルタゴ兵は傭兵で
このことで 1)武威に無関心な国民性が形成
2)動員できる兵員数が財政力により制限された
地中海において当初カルタゴが圧倒的に優勢だったが、ローマが力をつけるにしたがって徐々に緊張が高まった。
ローマとカルタゴの大きな違いは、ローマが市民兵であったのに対し、カルタゴが傭兵であったといううことである。
この違いが後に大きな違いとなってくる。
【おまけ】
島田紳介が芸能界を引退し、その影響が心配されていたが、
その心配はすっかり杞憂に終わったと思う。
若手の成長は著しく、空いたポジションに次々と新しい人が入ってきてすぐに埋めた。
そんな中で、特に目立っているのが、フットボールアワー後藤だ。
最近は番組の中心になってきている。
若手が成長するためには、大御所が引退することが必要なのかもしれない。
0 件のコメント:
コメントを投稿