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2011年11月19日土曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 6③

6第二次ポエニ戦争③


1)ハンニバル進軍

前218年の6月初旬、ハンニバルはエブロ川を越え、8月半ばまでにはローヌ川に達した。
彼の行く手をはばむローマ軍はいなかった。



ガリア人系のタウリニ族の主な村落を陥落させた後に、ハンニバルは、ポイイ族とインスプレス族の鎮圧のために転用されていたローマ軍が、今やハンニバル軍を追尾できる態勢にあることに気づいた。

2)初の本格的勝利

ハンニバルは複雑な機動作戦を次々と実施し、12月の厳冬の非に、ピアチェンツァの南方においてとれっぴあの戦いが行われた。




結局、ハンニバルはローマ群の3分の2を殲滅させて、第二次ポエニ戦争の戦闘で初めて真の勝利を収めた。


3)どこを守るのか

その後ローマ軍は、イタリア北部の平原を捨て去り、中央部を防衛することを決断する。

なぜなら、イタリア北部の平原がハンニバルの騎兵隊とその同盟軍であるガリア兵に極めて有利な地形であることが判明したのである。




しかし、ローマ軍は、ハンニバルがアペニン山脈のどの地点を超えるのかという点について皆目検討がつかなかった。


ここにおいても、ローマは淡々と現実に対応するあまり精神的にパニックに陥るような人たちではないようだ。


正直、どこから攻めてくるかわからないしかも相当の強敵が迫ってきていれば一定のパニックになってもおかしくないが、その辺がローマの強さなのだろう。


主導権を握られても動揺しないことが重要だ。




【おまけ】

TPPの交渉とは、結局何なのだろうか?

歴史の必然なのか?

アメリカの国益のための要求なのか?




ローマが危機に対応したように、現実を見極めてしたたかに対応する必要がある。

今までの世の中よりこれからの国家運営の方がずっと難しいのだから。

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