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2011年11月12日土曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 5②

5勝利の成果 敗北の代償 ②

1)カルタゴの弱体化に乗じて

カルタゴの国内抗争が数年続いていた時期に、ローマがカルタゴの危機に乗じる可能性があったが、前241年にカルタゴと結んだ条約を引き続き尊重した。




しかし、前238年、ガリア地方とイリリア地方の状況が落ち着くと、今度は、ローマはサルディニア傭兵からの二回目の要請を巧みに利用して、カルタゴに宣戦を布告した。

疲弊したカルタゴはローマの要求

1、新たに賠償金1200タレントの支払

2、サルディニア島の引渡し

を呑んだ。「完全に正義に反する」ものだった。

結果的に、ローマはイタリア沿岸地域に対して攻撃を加える可能性のある潜在的な軍事基地をさらにひとつ取り除いた


2)ガリアの脅威と新たなる火種スペイン


前230年代を通じて、ローマはガリア地方の部族と小競り合いを繰り返した。



そこで、ローマはスペインを拠点にしていたカルタゴの将軍ハシュドゥバルとの間に協定を急いで結んだ。

⇒ハシュドゥバルのスペインにおける帝国の建設が、ローマとの間の新たな問題の火種になるのではとの見方が強まった


3)ガリア軍制圧

ローマはガリアの制圧のために進軍、総勢5万のガリア軍のうち4万人のガリア兵が命を落とし、生き残った者のほとんどが捕虜となった。

それ以降、ガリアの軍隊がアペニン山脈を越えたことは一度もなかった。




そのころカルタゴはスペインに対する支配を拡大していた。


正義に反するかもしれないが、ローマは自国の安全のために、弱体化したカルタゴに対して新たなる要求をして安全を獲得した。


これが正しいことなこかどうかはわからないが、


この行動でさらなる危機や争いが続くことになる。ここまでくると、戦争は日常であり、それをやめることはできなくなってきているように思う。


このあたりもアメリカによく似ている


【おまけ】

昨日から、Gメール、G+、フェイスブック、Gカレンダーに頻繁にエラーが出るようになったしまった。
今のところ、それほど不自由ではないが、



なぜ、急にこうなことになるのだろうか?全くコンピューターの世界は分からない。




セキュリティソフトの問題なんだろうか?

自然に治ってくれればいいのだが。

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