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2011年11月26日土曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 6⑧

6第二次ポエニ戦争⑧


1)支援を受けられないハンニバル


カルタゴは各地方のローマの敵対勢力によってローマを包囲しようと試みた。しかしながら、ハンニバルはそれほど大きな支援を受けることなくイタリアに留まらざるを得なかった。





そしてそのことが、ハンニバルの敗北を確実なものにした。


2)転換点

前209年、第二次ポエニ戦争は転換期を迎えることになる。

二人の司令官が、ハンニバルをイタリア半島に閉じ込めて追い詰めてた。



ターラントの町はローマに略奪された。

第二次ポエニ戦争の戦況が変化しつつあった。




3)ローマの英断 スキピオを司令官に

ローマは前211年の後半若干25歳のスキピオを最高司令官に任命するという異例の議決を行った。




スキピオは直ちに、カルターヘナのカルタゴ軍の駐屯地に攻撃をしかけた。


ここまで、読み込んできても、ローマとカルタゴは軍事的な実力において互角であるといえる。


では最終的に勝敗をわけた要因はなんだったか?


1)ローマの人々のほとんどが、現実を理解しているのに対してカルタゴが現実を見ていないこと


2)ローマは市民が兵士になっているので、戦争が自分のことでありそれが現実の把握に直結していること


3)どこまでもあきらめない、何があっても現実を直視し、それに対して冷静に対応するローマのしたたかさ。


勝てるチャンスはハンニバルにあったはずだ、本国が本気で現状を理解していれば。





【おまけ】

現実を直視することは大切だが、これがなかなかできることではない。

第一勇気のいることだし、人間の脳みそはその機能面からでも、「本人にとって見たい現実しか理解しない」ようだ。




マスコミにしても、皆がそうでありたいと思っている事しか報道しない。

しかし、一日でも早く現実に気が付き、対応することが大切だと思う。

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