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2011年11月5日土曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 4③

4 第一次ポエニ戦役④

1)宣戦布告

カルタゴとシラクサは新たなる同盟を結んだ。ローマを追い出すためである。

その結果、強大なカルタゴ軍がシチリア島の南西岸にあるアグリジェントに駐留し、そこから進軍してメッシナーの郊外に野営した。




シラクサもメッシーナにむけて進軍

ローマの新解放軍はいつの間にか包囲されていた。

同時に海上ではカルタゴ艦隊がメッシーナ海峡を封鎖、ローマの後続部隊の上陸を阻止した。

ローマは闇にまぎれて後続部隊をシチリア島に送りこむ。ローマはカルタゴとシラクサに対し「メッシーナの包囲を解くよう要求」

この要求が拒否されたために、ローマは交戦状態に入ったことを宣言、第一次ポエニ戦争がはじまった。





2)アグリジェントの町攻撃

前262年の春ローマはアグリジェントにある敵の軍事基地を攻撃。7か月に及ぶ長期の包囲戦の末、カルタゴの司令官は脱出。

ローマは他のシチリアの他の都市に対する見せしめのため住民を奴隷として売り渡し、略奪するなど残虐行為を行った







3)制海権

ローマはカルタゴをシチリアから追い出す決意をした。

問題点はカルタゴが完全に制海権を握っているということ

一部の内陸都市はローマの側に加わったが、協力なシチリアの沿岸都市はカルタゴと通称し、カルタゴに忠誠を示していた。

戦争の帰趨を決するためには制海権を握る事が必要だった。





4)選択肢

カルタゴ艦隊はイタリア本土の沿岸都市の略奪を始めた




ローマは二つの戦略上の選択肢のいづれかを選択しなければならなかった。

1)カルタゴを支援するすべての都市からカルタゴを追い出すためシチリアの軍事作戦を遂行する

2)戦争をエスカレートさせて、アフリカに攻撃を仕掛けてカルタゴ本国を脅かすことで、交戦状態を永久に終わらせる

いづれの選択肢もローマが海上においてカルタゴに挑戦することを意味した。








ローマはカルタゴの戦争によりやむを得ず次のステップに進むことになる。


つまりは、陸の国から海上の国に向けてのステップである。


挑戦しなければ、現状維持も難しい、結局進み続けるしかないのだと思う。


たとえそれが困難な道であったとしても。


極端な例だが、日本の会社が海外に進出していくのも同じようなことだと思う。


じっとしているか、飛び出すか。どちらも危険だが、進む方が若干安全だと思う




【おまけ】

株価が不安定で先行きが読めない。欧州の不安も収まるんだか収まらないんだか?




この不安定感は何の兆候なのだろうか?

本格的に欧米の時代からアジアの時代への転換点か?

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