1)ピュロスの進攻
前279年エベイロス王ピュロスがイタリアに進攻した。
この時のローマとカルタゴの協定
1、カルタゴはイタリア半島の問題に干渉せず
2、ローマはサルディニア島の問題に干渉しない
こうすることで
ローマがピュロスをイタリア半島で食い止め、シチリア島への進攻を防ぐことが期待された。
交換条件
⇒ カルタゴはローマに対して海上支援を提供する しかし失敗に終わり
ピュロスはシチリア島に進攻した。 協定の目的は達成されなかった。
前270年代終わり ピュロスは何も手に入れられずシチリア島を去った。
その時シチリア島について「カルタゴとローマの人々に何と立派な相撲場を遣わしてやることになったものだ」 と語ったと伝えられる
2)戦いへの経緯
前289年カルタゴはシチリア島に進攻を始めた。カルタゴはシラクサ艦隊を撃退、領地を回復し、シチリア島のギリシャ系諸都市を征服。
シチリアの傭兵であったアルメィニ軍が仲間を裏切りメッシーナを占領、それに対しシラクサ軍がメッシーナを逆に包囲した。
⇒ このことで、カルタゴはシチリア島への干渉を開始した
シラクサ軍を追い払うことに成功したカルタゴに対し、マルメテイニ人はカルタゴを排除したいと考え
⇒ ローマと同盟を結ぶことになる。
結果的にローマはカルタゴ、シラクサ両軍と戦う覚悟をする
ローマが戦いを覚悟した理由
1、イタリア半島を取り巻くすべての島々がカルタゴの支配下に入る危険を感じた
2、ローマの「友邦の輪」のもっとも脆弱な南イタリアを攻撃するため
の基地をカルタゴに与えることになる危険
3)開戦
前246年、ローマ先遣隊がシチリア島に到着、カルタゴの守備隊長を強引に立ち退かせた。
ここにローマとカルタゴの間の戦争 第一次ポエニ戦争ははじまる。
隣合う、2大勢力は必ずどこかで、争い雌雄を決しなければならない運命にあるような気がする。
互いに、戦争は避けていても、利害の衝突が緊張感を増幅させ、徐々に戦いへの準備を始め、それが時間の経過と共に、より現実的な戦争へと導くのだと思う。
又、どこかでローマ人の決断力といだぎよさを感じる「避けることができない」ことは「あえて避けることをしない」
【おまけ】
昨日、高校ラグビー神奈川予選の準々決勝を見に行った。
県立横須賀は、惜しくも 東海大相模に 10対14で敗れた。
互いに、譲らぬ好試合だった。
東海大の決断の速さが、勝負を決めたように思う。
大学受験の心配のいらない付属校と、
負けた瞬間に受験生になる公立高の心の持ち方の違いが影響したのだろうか?
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