1)ハミルカル・バルカの軍事行動
膠着状態が続いていたが、カルタゴにハミルカル・バルカという精力的な指導者が現れたことで状況が変わった。
前247年、ハミルカルバルカハ、ローマが海洋戦略を放棄したことに付け込み、イタリア南部の沿岸地方に襲撃を加えた。
翌年ドレパヌムとリリバエウムの町の包囲中のローマ軍の背後を襲った。
結局3年もの長い期間にわたってローマ群を追い詰めて逃がさなかった。
2)海上で勝利するしかない
ハミカルバルカの軍事活動が長期間に及ぶにつれて、ローマの元老院は、海上で勝利を得る事だけが戦争を集結させる唯一の方法であるとの確信を強めた
勝利後に償還することを約束した戦時国債を発行することで、ようやく200隻の戦艦と輸送船からなる艦隊の建築に必要な財源を確保した。
3)ドレバヌムの包囲
前242年夏、ローマ艦隊が、カルタゴ艦隊を撃滅する任務を帯びて再度、ドレバヌムに向かったがカルタゴ艦隊はそこにはいなかった。
カルタゴはアフリカで進行中の戦いのために、船員をすでに移動させていたのである。
ローマのドルパヌムに対する攻撃は失敗に終わったが、包囲により、ドルパヌムでは食料が不足していた。
4)カルタゴの反撃~講和
その後、前241年3月までに、カルタゴは170隻~200隻の艦隊を作り上げた。
ねらい シチリア島への上陸
ハミルカル・バルカと彼の兵士を艦船にのせる
その後、海上でローマ艦隊に決戦をいどむ。
しかし、実際は
シチリア島上陸前にローマ艦隊と遭遇 ⇒カルタゴ艦隊は敗北した
ローマは50隻のカルタゴ艦隊を撃沈させ、さらに70隻以上の艦船を捕獲した。カルタゴによるさらなる反撃は不可能であった。
ついにカルタゴ政府はローマとの講和を交渉するために必要な全権をハミルカル・バルカに与えた
毎回同じ指摘だが、カルタゴ側の自滅としか言いようがない。
両国とも、ギリギリのところまで追いつめられていたことは確かだ、
しかし、肝心なところで カルタゴは心が折れてしまい、
ローマはくじけなかった。
この差はなんなのか? 市民の国家への参加意識の差だろうか?
戦いは結局 あきらめたほうが負けということだと思う。
【おまけ】
オリンパスが粉飾決算で上場廃止に追い込まれようとしている。
まさか、その原因が20年近く前のバブルとその崩壊にあるとは・・・
まだバブル期の負の遺産を抱えている企業があるということか
そのあまりにも長期にわたる影響に
やはり嘘はつくべきではないとつくづく思う
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