1)膠着状態
前252年 、ローマのリリバリウムを占領する試み何度も失敗に終わった。
カルタゴは、ヌミディア問題にあまりにも関心を集中させていたので、ローマの災難(悪天候による損害)につけ込むことができなかった。
この小康状態に続いて、二年間の活発な軍事活動の期間が再び始まった。
2)リリバリウム海上封鎖
ローマ艦隊は再びリリバリウムの海上封鎖を試みた。
しかし、リリバリウムを陥落させることは不可能であることが明らかになった。
ローマはリリバリウムの封鎖を試みたが、カルタゴは海上封鎖を何度も突破し、ローマの工場用の保塁を焼き張らうことに成功することもあった。
ローマがリリバリウムのカルタゴ軍を一掃できる簡単な方法は、存在しないように思われた。
3)第三の戦略⇒敗北⇒膠着状態
海上封鎖が効果がないことを察したローマは前249年、第三の戦略を採用した。
第一の戦略 戦線をアフリカ大陸に拡大する⇒成功せず
第二の戦略 シチリア島の主要な都市からカルタゴを一掃する⇒成功せず
第三の戦略 シチリア島の海域に進出して、カルタゴ艦隊を撃滅する。
⇒ローマの司令官が計画を不適切に実行したために海戦で敗北
結果として 戦争開始当時 ローマは240隻のガレー船を率いていたが⇒ 生き残ったのはわずか20隻
ローマはリリバリウムの海上封鎖を続行することが不可能になった。
それでも
もう一つのカルタゴ支配の都市 ドレパヌムへの道を遮断することに成功した
⇒そのことで敗北を膠着状態に変えた
ローマは海軍を新たに建設することは到底できない状況であったが、講和を申し出るという考えはまったくなかった。
この膠着状態は カルタゴに精力的な指導者が現れることで終止符が打たれる つづく
ローマは最初から適切に戦うことができたわけではなかった、何度も試行錯誤を繰り返し、失敗し、それでもあきらめず
たんたんと、状況に応じて努力したように思う。
カルタゴは内部に抱える問題のためにローマに対してとどめをさすことができなかったのだろう。
あきらめない事が大切という教訓だと思う。
【おまけ】
羽田空港から海外へ行く人が増えているらしい。
考えてみれば当然だろう。
あまり休みを長期間取れない日本人にとっては成田に行くまでの時間ももったいない。
さらに羽田なら深夜出発の便もある。
地味ではあるが、海外への旅行や移動が新しい転機を迎えた。
アジアの都市には、日帰りも可能になる。
週末グアムやサイパンに行くこともできる。
次回が気になります。
返信削除成功するには適時にはじめ失敗を重ねることが一番の近道ととある分記事に書いてあったことを思い出させる内容でしたね!