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2011年10月19日水曜日

憂鬱でなければ仕事じゃない 第六章①

第六章① 成功への動機付け

1)勝者には何もやるな

勝利すると、誰もが喜びをおぼえる。しかし、すぐある種の空しさが訪れる。その空しさを肯定しよう。
勝利とは単なる通過点にすぎないのだ。




見城

圧倒的な努力を傾け、とてつもなく高い壁を乗り越えたとき、僕は何の褒美もほしくない。また、褒美を前提とする努力など、努力とはいえないと思う。

金銭でも名誉でも褒美を目的にしていては、人が不可能と思うようなことを、実現できるはずもない。

「俺はまだ闘える」と思えること、それだけが大切である。

藤田

実際金を持つと、金などどうでもよくなる。ある所を目指して頑張るプロセスこそが、一番面白いことに気づかされるのです。



仕事は何のためにやるのか、人は何で必死になるのか?


もしお金を得ることだけが仕事の目的なら、すぐ閉塞感に陥る。


自分自身も実体験で褒美を目標とすることで、壁にぶつかりむなしくなってしまった経験がある。


では、何が、必死になるための動機になりうるのか?


それは自分自身の心の声に正直に従うしか方法がないと思う。


そして方向を定めて、一歩一歩確実に進んでいくのだ。



2)ノーペイン・ノーゲイン

painには、苦痛と努力の意味がある。それによってあながわれたものは、自分の体の一部のように、いとおしいに違いない。



見城

葛藤や苦しみのないとことからは何も生まれない。

自分の力で獲得した結果であっても、そのことに寄りかかって生きることは自分を堕落させる。それをゼロに戻してこそ、次のいきいきとした生の実感が味わえる。

大企業にいた人は独立するとたいてい上手くいかない。

苦しみぬいて得られたものにだけ、価値があるのだ。


藤田

「今、スマートフォンの仕事をしているのは、若者ばかりだ。入社1、2年目の社員が、鼻息荒く必死になって頑張っている。お前はあいつらに、死んでも負けるな!!」

先日とある子会社の社長に、強い口調でいいました。

ひとは誰でも成功体験やキャリアに胡坐をかきやすい。それを捨てるのは、とてもつらいことです。

でもそこに安住すると、新しく得られるものはなくなってしまうと思います。





自分が子供のころ昭和40年代50年代は皆、必死だったという記憶がある。それがいつのころからか、


バブル前後だと思うが、ゆとりや自分の人生を楽しむこなどの考えが主流になってきた。


がむしゃらに努力することがかっこ悪いことのように考えられ始めた。


しかし現在の閉塞感の原因がその考え方にこそあるのでは。


この本で著者の二人はひたすら努力し、リスクを取り、勝負をすることを薦めている。


「安定した閉塞感」を選ぶか「不安定で苦しみがあるが充実感のある生活」を選ぶか


大きな岐路に立っていると思う。


【おまけ】

NHKで松下幸之助のドラマをやっていた。

考えると、松下電器産業といいう会社はすごい会社だと思う。




確かに、株価の総額という意味ではそれに匹敵するような会社はいくらでもあると思うが、世の中に与えたインパクトとなると

ものすごい。

20世紀の日本的経営の原型はほぼ松下が作ったといっても過言ではない。

グローバル社会になり、日本的経営が失われてきている。

一方で、日本的経営の価値もここにきて見直され始めている。

現にサーバーエージェントでは終身雇用を採用しているらしい。

さてこれからどうなるか? 日本的経営もバカにできないと思うが・・

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