Ⅰ) 戦争それ自体を美徳に
十九世紀の偉大な戦争理論家であるクラウゼビッツは、戦争それ自体が目的でなく手段にすぎないと主張したが、
より、知的水準が低く、より原始的で、かつ非情に危険な世界では、暴力それ自体が正当な理由になったり、正当性を帯びたりすることが多い。
共和制初期のローマでは、常に外部からの脅威にさらされ、恒常的な軍事活動が必要だった。
結果的にローマでは、暴力の能力を美徳の尺度とみなす独自のエトスが形成された。
Ⅱ)長期間の戦闘行動
前327年~前241年にかけて平和な期間はわずか5年間で、戦争しなかった時期はむしろ異常な環境だったと言える
第一次ポエニ戦争の勃発後、ローマ軍団は、どちらかと言えば、イタリア半島における版図拡大の期間よりも多くの時間をイタリア半島以外の地域における軍役に費やした。
Ⅲ)なぜこのような軍事遂行が可能だったか?
1)ローマ市民は17歳~46歳までの間に16年間軍役につく義務を国家に負っていた。
2)除隊後も兵士として経験を積んでいたためにすぐ戦場に戻すことができた
3)軍役を20年に延長する権限を政府に認めていた
Ⅳ) ローマの戦争観の考察の必要性
もし戦争がローマの世界観の中核であるとすれば・・・
①ローマはどのように戦争を認識していたか
②どのように準備をしたか
③どのように遂行したか
を考察することが「ローマの戦略の特異な性質を解明する」という目的の手掛かりとなる。
Ⅴ)軍規を維持するために
★他に類を見ないほどの残忍さと復讐心の強さがローマ人の特徴であった
1、ローマで実践された10分の一処刑
戦場で恥をさらしたり、敗北した部隊にたいしてその部隊長は部隊全体から10人に一人の割合で処刑した。
10分の一処刑の慣行はローマの異常な懲罰措置を典型的に表しており、とりわけ、それが徴兵された市民兵に対して科された点に、ローマの際立つ特徴がある。
ローマは残酷だったのか?ローマは戦争を好んだのか?
自分はそうは思わない ローマは現実的だったのだと思う。
10分の1処刑に関しても合理的なシステムではないか?
もし、自分が失敗をおかさなくても自分の部隊が敗北すれば罰を課されるそれも、平等に
勇敢だった兵士も、臆病だった兵士も
もうこうなると、集団スポーツと同じような連帯感が生まれてくる。この連帯感は軍規を高く保つ効果のほかに
自分たちの部隊への帰属意識とプライドを形成することにつながったのではないか?
【おまけ】
今日は朝から、車で直接現場に向かい、通常の事務所で行う業務を車でやろうと思ったが、やはり外で、集中して事務作業をやるのは難しかった。
まず、電源が車からでは弱すぎてパソコンが落ちてしまうこと。
意外と、落ち着いて、車を停めて作業する場所がないことなどが原因だ。
やはり今迄通り、最も効率がいいのは、朝から事務所で事務作業をし、午後を外周りの仕事に振り分けることなのか?
外の作業はどうしても限られたものになる。まだまだ改良の余地があると思う。
考察拝見しました。深い洞察ですね!孫子が王の寵姫の首を切ろうとする話が浮かびました。
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