このブログを検索

2011年10月6日木曜日

憂鬱でなければ仕事じゃない 第一章-2

第一章-2 人としての基本




1)自己顕示と自己嫌悪は「双子の兄弟」

人間は誰しも多くの矛盾を抱えているが、それは最強の武器になりうる。




見城

自分を他者に対してアピールしたい気持ち、これが仕事の原動力になる。

一方で、同じ分量の自己嫌悪が必要だ。

その二つが揺れ動くからこそ、人としての幅が生まれ、それは他人から見ると魅力に映る。

それが人のオーラなのだ。

僕は人がふと、自己嫌悪をのぞかせた時「この人とは付き合えるな」と思う。



藤田

組織を引っ張ってゆくには、自己顕示欲は時として邪魔になることに気付かされます。

社員の力を最大限に引き出せるのが、いい経営者です。

自己顕示欲とのバランスを取るためには、常に正直でオープンな姿勢を心がけていることではないでしょうか?
自分がすごく自信を持っていたとしても、やはりどこかに不安や迷いはあるはず。それを率直に相手に見せてしまえばいいのです。








2)努力は自分、評価は他人

甘えは本来他者に向けられるものである。しかし、仕事での甘えは、自分へのものであることが多い。その落とし穴に気付くことが、成熟の証である。




見城

「努力」というものを、僕なりに定義しなおすと、それは圧倒的なものになって、初めて「努力」と言える。

結果を評価するのは、自分とは全く別の主体なのだ(上司や取引先や世間など)

以前うちの会社に見るからに頑張っている社員がいた。

なかなか結果が出ない。

僕は一回だけ、せつなさのあまり彼にいった事がある。

「君、結果を評価するのは僕だからね。プロセスは関係ないから」


藤田

「結果ではなく、プロセスを評価してほしい」という人が良くいるけど、僕はこれを聞くたびに違和感を覚えます。

結局、仕事とは勝負なのです。

「俺は社長だ。サラリーマン時代とは、もう違う」と悦に入っている人がしばしばいます。

本気で、自分の会社を成功させようと思っている人は、社長に就いたこと自体に、何の意味もありません。

社長なんか、なろうと思えば誰でもなれるのですから。









3)正直一番 正々堂々

身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。

死地に陥れく、後生く。

極まった覚悟ができたとき、はじめて活路がみいだすことがある。

人生においうてこれにまさる逆説はない。




見城

「正直一番、電話は二番、三時のおやつは正々堂々~」と大事な交渉の前に口ずさむようになった。

難しい状況に追い込まれたときは正直が一番だ

「あら楽し、思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」

大石蔵助

切腹するときに澄み切った心を詠んだ歌。


藤田

勝負所では、正直に正々堂々と真正面から突破する。これに勝るものはありません。

会社を立ち上げたとき、アメーバを作ったときもそうでした。

自分の特性を早くから決めてしまう人がいるけれど、それでは可能性の芽を摘んでしまうのでhないでしょうか?

人は何にでもなれると僕は思います。

新しい道を切り拓くつもりならば、真向勝負で正面から突破する潔さが大切です。



努力という話となると、見城氏が石原慎太郎氏を口説き落とした時の話しは印象的である。


「『太陽の季節』と『処刑の部屋』の全文を暗記し、初対面の時、石原さんの前で暗証したのだ」


人を説得するためにはここまでしなければならないのかというエピソード。


これがあるから、石原氏は見城氏のことを今でも信頼しているそうだ。


やるときは、極端までやる事、その時は正々堂々とやること。


【おまけ】

アップルがiphone4sを発表し、本格的にクラウドのサービスに乗り出すことが、今日の日経新聞に出ていた。

クラウドのサービスになれば、パソコンは完全に通信機になる。




クラウドの方がメインになる時代がもうそこまで来ている。

これで、書類や、写真をなくすこともなくなる。

本格的に会社に行く必要もなくなる時代がやってくる。

その他にどんな変化が起こるか 楽しみだ!!

1 件のコメント:

  1. 読み応えのある記事でした。
    ジョブス氏がなくなりましたね。世界が悲しみにくれています。合掌

    返信削除