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2011年10月31日月曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 3 ①

3 同盟の構造①

マキャベリは、ローマが数多くの戦争に勝利を収めることができた重要な理由をこのような言葉でまとめている。

「緻密に同盟関係を構築することでもっとも手強い敵国をも敗北させることのできる軍事力を手にした。」




前三世紀のローマ軍はいくつかの別箇の集団から構築されていた

A)ローマ人自身

B)人種的、言語的にローマと共通点の多かったラテン人

C)イタリア半島の非ラテン系の部族で構成された同盟国の人々(ローマ軍の全兵士の半分以上)



ローマ市民(A)にはある最低限の取りを所有している場合には徴兵の対象とされた


ラテン人(B)には、ローマの完全な市民権が与えられた


ローマとソーチ(C)と呼ばれる同盟国の関係

ローマの事実上の従属国

1)自国の外交をローマの意に添うように変更

2)ローマの友邦を自国の友邦とみなす ローマの敵を自国の敵とみなす

3)ローマが起こす戦争に対して自国の兵士を提供するという暗黙の義務

こうした義務は

ローマに友好を結んでもらうこと、「自由」を保障してもらうこと、外部勢力からの干渉から守ってもらう

事の見返りとして課された。

「これらの都市は、見たこともないローマ政府の支配下の方が平穏かつ満足して生活することができた。」






ローマの支配を、戦争に負けたこと、あるいはその方が得だからと周辺の国は受け入れた。


この関係を見ると、日本とアメリカの関係によく似ているように思う。


認めたくないが、日本は外交方針を独自で決定することができない。



【おまけ】

先週関心したこと。

バナナマンというコンビのお笑いがいて、深夜放送のラジオTBS JUNKの金曜日を担当しているのだが、

先週はキャンペーンウィークだったので、各曜日にゲストが呼ばれた。




その中で、バナナマンのゲストだったのは土田(ユータ-ン)だった。

その中の話しが深かった。

「若いときは突っ張っていてほかの人が登場するときは絶対に笑わないようにしていた、しかし今ではバラエティ番組は協力して作っているのがよくわかってきた」


今では、土田は企画成立芸人(その企画の意図に応じて的確にコメントできるということから)と呼ばれて重宝されているらしい。

芸能界は競争が激しい社会であるが、一方で協力関係が成立していることが大きな発見だった。

2011年10月29日土曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 2-2

2-2 


1)無慈悲で残忍な態度

絶え間なく続く戦争の辛苦に耐えることを厭わなかったローマ人は、戦争に際して無慈悲な態度をとったという点においても歴史上、他に例を見ない





スペインのルティアという町で起こった反乱の鎮圧に際して、ローマに反乱を企てた400人の若者の手を   
他の住民への見せしめのために切り落としたのである。

共和制ローマの歴史は、その都市が降伏したかどうか関係なく、破壊された都市の事例によって彩られている。

極端な残忍さを示しながら、同時に高い水準の政治文化を享受した民族はほとんど他に例がない。



2)宣戦布告と平和条約に関する法律

ローマ時代の宣戦布告と平和条約に関する法律は、「自国または同盟国の防衛のために起こす戦争以外に、いかなる戦争も神々がお許しになることはない」 と定めている。



ローマの同盟国の保護を戦争の目的とすることで、ローマ時代の宣戦布告と平和条約に関する法律は、柔軟な解釈が可能になった。

「私たちの国の人々は、同盟国を守ることによって、今や全世界を征服する力を獲得しました。」





残忍性に合理性はあるのか? 二度と敵に反抗する気を起こさせないためであるということなら合理性があるようだが、どうなのだろうか? 


非合理性の部分(人間の暗部)があるのは否定できないだろう。


ローマ帝国の態度は、アメリカと重なる部分がある。しかし、アメリカの方がローマに比較して幼稚な印象を受ける。


ローマの凱旋式を模したアメリカの凱旋パレードをテレビで見ると、茶番にしか見えない気がする。



【おまけ】

アンパンマンは子供に人気がある。

なぜアンパンマンだけがあれほど特定の時期の幼児に人気があるのかさっぱりわからない。




しかし、うちの子もアンパンマンのビデオを見せるとピタリと泣き止む。そういう意味でアンパンマンは子育て世代にとってのヒーローであることは間違いない。

2011年10月28日金曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 2-1

2 -1 ローマの寡頭政治のエトス

1)名誉と功名心

激しい戦闘のさなかに人間の心を占める高尚な感情のうちで、名誉と功名とを憧憬する念ほど強力でかつ常住的なものはない。

最高指揮官から、最下級の指揮官にいたるまで、およそ指揮官の側にこれほどの努力、このような勤勉、このような競争、このような激励があるからこそ、軍のはたらきを活発にし、かつ効果あらわしめるのである。






2)政治的リーダーは必ず従軍している

毎年のように行われる戦役に10回以上従軍した経験がないと政治的な役職に立候補することができなかった。

ローマの貴族は英雄的行為を非常に重視しており、白兵戦や戦場での栄光が、政治的・社会的な栄達を獲得を獲得するために必要不可欠な要件であった。




第二次ポエニ戦役では、10年間で20人の執政官のうち12人の執政官が戦死し、さらに「軍司令官は二人一組で従軍することが常であったが、12人のうち2人から3人の割合で彼らが凄惨な戦闘で命を落とすことは極めてふつうのことであった。



指導者が、前線に立つか立たないかが、組織の士気におおいに影響するということ。


市民に犠牲を強いる一方で、司令官は自分にそれ以上の犠牲を強いている場合、全体のモチベーションが上がるということだ。


近代戦ではナポレオン以降指揮官が前線にたつことがなくなった。


日本の企業の場合、社長が一番前線で泥臭い仕事をしている会社は多い



【おまけ】

ワールドカップラグビーが終了すると今度は、高校ラグビー神奈川地区予選が始まる。

10月30日(日) ベスト8がでそろう。 おそらく優勝候補は桐蔭学園だ変わりないだろうが、高校スポーツの場合、学年によって選手の入れ替わりがあるのでやってみないとわからない部分もある。



さて、今年桐蔭学園を破るチームが出てくるか楽しみだ。

2011年10月27日木曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 1

1 ローマ市民の役割



Ⅰ) 戦争それ自体を美徳に

十九世紀の偉大な戦争理論家であるクラウゼビッツは、戦争それ自体が目的でなく手段にすぎないと主張したが、

より、知的水準が低く、より原始的で、かつ非情に危険な世界では、暴力それ自体が正当な理由になったり、正当性を帯びたりすることが多い。




共和制初期のローマでは、常に外部からの脅威にさらされ、恒常的な軍事活動が必要だった。

結果的にローマでは、暴力の能力を美徳の尺度とみなす独自のエトスが形成された。




Ⅱ)長期間の戦闘行動

前327年~前241年にかけて平和な期間はわずか5年間で、戦争しなかった時期はむしろ異常な環境だったと言える

第一次ポエニ戦争の勃発後、ローマ軍団は、どちらかと言えば、イタリア半島における版図拡大の期間よりも多くの時間をイタリア半島以外の地域における軍役に費やした。




Ⅲ)なぜこのような軍事遂行が可能だったか?

1)ローマ市民は17歳~46歳までの間に16年間軍役につく義務を国家に負っていた。

2)除隊後も兵士として経験を積んでいたためにすぐ戦場に戻すことができた

3)軍役を20年に延長する権限を政府に認めていた


Ⅳ) ローマの戦争観の考察の必要性

もし戦争がローマの世界観の中核であるとすれば・・・

①ローマはどのように戦争を認識していたか

②どのように準備をしたか

③どのように遂行したか

を考察することが「ローマの戦略の特異な性質を解明する」という目的の手掛かりとなる。






Ⅴ)軍規を維持するために



★他に類を見ないほどの残忍さと復讐心の強さがローマ人の特徴であった

1、ローマで実践された10分の一処刑

戦場で恥をさらしたり、敗北した部隊にたいしてその部隊長は部隊全体から10人に一人の割合で処刑した。

10分の一処刑の慣行はローマの異常な懲罰措置を典型的に表しており、とりわけ、それが徴兵された市民兵に対して科された点に、ローマの際立つ特徴がある。


ローマは残酷だったのか?ローマは戦争を好んだのか?


自分はそうは思わない ローマは現実的だったのだと思う。


10分の1処刑に関しても合理的なシステムではないか?


もし、自分が失敗をおかさなくても自分の部隊が敗北すれば罰を課されるそれも、平等に


勇敢だった兵士も、臆病だった兵士も


もうこうなると、集団スポーツと同じような連帯感が生まれてくる。この連帯感は軍規を高く保つ効果のほかに


自分たちの部隊への帰属意識とプライドを形成することにつながったのではないか?




【おまけ】

今日は朝から、車で直接現場に向かい、通常の事務所で行う業務を車でやろうと思ったが、やはり外で、集中して事務作業をやるのは難しかった。

まず、電源が車からでは弱すぎてパソコンが落ちてしまうこと。
意外と、落ち着いて、車を停めて作業する場所がないことなどが原因だ。




やはり今迄通り、最も効率がいいのは、朝から事務所で事務作業をし、午後を外周りの仕事に振り分けることなのか?

外の作業はどうしても限られたものになる。まだまだ改良の余地があると思う。

2011年10月26日水曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 はじめに

はじめに 

① マキャベリの評価


ニコロ・マキャベリは、数々の著作の中で近代国家を定義した理論家であったが、その彼が理想の政治体として選んだのが共和政ローマであった。



理由

1)ローマ市民軍の軍規の厳格さおよび窮乏に耐え抜くために彼らが示した並外れた献身性

2)貴族階級が軍事的栄光に対して持っていた並々ならぬ強い衝動と渇望

3)帝国的な征服を通じてのみ満たされたローマ人の領土に対する獲得欲

地理的にも周辺に位置していたにもかかわらず、群雄割拠の世界で巨大な帝国を築き上げた共和制ローマの実力に対する彼の評価は極めて正しいものであった。


②恵まれない環境で建国したローマ




ローマは小さな都市国家として建国された。その初期、周辺の部族が次々と進攻を繰り返しローマの独立を脅かした。

ローマの防衛は完全に市民軍に依存していた。

1)市内には7つの丘があるが最低限の城壁の建設に適した地形であるということぐらいであった。

2)重要な資源にも恵まれていなかった

3)海に面していないため港を持たず一人前の都市国家として発展することができなかった。

※初期のローマが生き残ることができたのはむしろ貧しさがその原因である。
外部の民族が侵入するほど、魅力的な場所でなかったのだ。






③大帝国を築き上げる胎動期を考察

この恵まれない地域が、最終的にすべての地中海の周辺部と北ヨーロッパの奥地にいたる広大な領土を支配する帝国へと変貌を遂げた

このようなローマの発展の胎動期間とでもいえる時期が、

本章が考察する時期である。

この時期、元老院およびローマ市民の驚くべき努力によってローマは大いに発展を遂げた。

そして、第二次ポエニ戦争における勝利の後。

ローマの拡大に対して対等に近い立場から挑戦する国は再び現れることはなかった。



国にしても企業にしても、初期の段階で恵まれていない事が、将来の発展のきっかけを生む場合が多い。


特殊な好条件が発展の原因の場合はその条件が失われれば、発展することができなくなってしまう。


恵まれていないからこそ、工夫、努力、協力をし、謙虚になれるのだろう。


今の日本はどうか?
戦後、資源のない国、戦争に負けてすべてを失ったことが、国を挙げての努力、協力、工夫につながり、


復興そして発展を成し遂げた。


それが再び苦境、それも閉塞感という厄介な苦境に立たされている。


今回の苦境の特徴的なのは、世界で同時に起こっているということだと思う

この中から新たな息吹が生まれるのか?






【おまけ】

ブルーマンショーとうパフォーマンスが流行っているらしい。



全身青に塗った男たちが、様々なパフォーマンスをするNYから上陸したショーの様だ。

4年間興業を続けていて、その業界では大ヒットしている。

その宣伝の方法が面白い、空席があるとピザの宅配の人を無料でショーに招待し、

そのピザの宅配の人のシャツにブルーマンショーの広告を載せてもらう。

お客さんは配達に来た人のシャツを見て話しかける

実際にショーを見たことのある配達員は口コミでそのショーの説明をするというもので

かなりの効果を上げているようだ

TBSラジオで水道橋博士が言っていた。

効果的なマーケティングの話しは面白い。
一方で、どう考えても自己満足だろうというマーケティングもある。

2011年10月25日火曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 戦略の形成より

戦略の形成という分厚い本があり、面白そうだと思ったのですが、ボリュームがありすぎるので、その中から

第三章 だけをピックアップしました。




目次

はじめに

1、ローマ市民の役割

2、ローマの寡頭政治

3、同盟の構造

4、第一次ポエニ戦争

5、勝利の成果、敗北の代償

6、第二次ポエニ戦争

7、結論


昨年、時間があったので、塩野七生のローマ人の物語という本をよんで、ローマ帝国というものに興味をもつようになったのが、今回この題材を選んだ理由です。

今の時代が形成する前 およそ2500年から1500年前程の時代にすでにかなり完成度の高い文明があったことは驚きでした。

その文明も結局滅んでしまうわけですが、ローマの人たちが記録をかなり正確につけていたので現代に多くの教訓をのこしているように思います。



その中で、このカルタゴとの戦いは地中海世界でのローマ帝国の優位を決定づけた、大きな意味のある戦いだったようです。

さてこの戦いがどのように展開されてきたか。次回以降、要約をまとめていこうと思います。



【おまけ】

最近、秦野に現場があるので、東名高速を通って、秦野まで通うことが多くなった。




当初は遠いなあという実感だったが、だんだん慣れてくる。

ラジオの録音をアイポッドで聞く貴重な時間なのでむしろ、移動することが楽しくなってきた。

慣れとは恐ろしい。

逗子の現場がものすごく近く感じる。

2011年10月24日月曜日

憂鬱でなければ仕事じゃない 第六章③

第六章 ③


1)「京味」に行けなくなったら、仕事はやめる


自分を知ることほど、難しいものはない。

完全にわかる事は、不可能ともいえる。

しかし、その手段として、自分で照らせる身近でわかりやすい指標を設けることはできる




見城

西新橋に「京味」という、降級割烹がある。素晴らしくおいしい正統派の京料理を出し、和食の最高峰と呼ばれる店でもある。

「京味」は高い。二人で行くと、十万円を超える。

しかし、それ以上に旨い。「京味」に行けなくなるということは、僕にとっては仕事がうまくいかなくなるということを意味する。



藤田

格のある店に通うことが、ふさわしいかどうかは、自分をはかる物差しになるので、そのような店を持つことは意外と大事だと思うのです。

僕の場合、西麻布のワインバー「エスペランス」がそれにあたります。

一方、僕にはまだまだ敷居が高い所もあります。ゴルフ倶楽部の小金井カントリー倶楽部がそれです。

身近にレベルの高いライバルがいれば、負けられないと思って頑張るし、逆に、周りがみんな低いレベルだったら、こんなものかと安心してしまう。

こういうことは重要でなさそうに見えて、実はそれが成否を分けているような気がします。





モチベーションを上げるには、一流のものに触れる必要がある。
そういうことだろう。


自分の場合、母校のラグビー部の活躍に刺激を受けている。その監督の先生の指導の仕方は経営という面からも参考になり、


負けられないという気にさせられる。


やる気を維持するには人からの刺激が一番なのだろう。









2)男子たるもの、最後の地の一滴が流れるまで、戦い抜け


明治時代、新島襄は、日本にキリスト教を広めようとして、仏教徒などから激しい攻撃を受けた。若者を励ます手紙に書かれたこの一節ほど、現代のビジネスマンを鼓舞するものはない。

見城

「男子たるものは、一度戦って負けても、やめてはならない。二度三度目の戦いの後でもやめてはならない。刀折れ、矢尽きてもやめてはならない。骨が砕け、最後の血の一滴まで流して、初めてやめるのだ   新島襄」

なぞのファンドから幻冬舎の株を三分の一以上を買いあがり苦境に立たされたとき、僕を勇気づけてくれたのは、新島襄の言葉だった。


藤田

僕がはじめてヒップホップを聴いたのは、学生時代。ライムスターの「エドトピア」というアルバムでした。

「外野席のコメンテーターいつか黙らせてやる、いつか全部」といいった内容の歌詞がありました。

僕はこの一節が好きでした。

どれほど僕を勇気づけてくれたか分かりません。



「あら楽し 思いは晴れる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」 大石内蔵助

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」 吉田松陰





自分の場合勇気づけられのは「ブルーハーツ」だ。


きっと影響を受けた人が多かったのだろう。最近のCMにはよくブルーハーツの曲が採用されている。


その中の歌詞に 「馴れ合いは好きじゃないから 誤解されてもしょうがない・・・」という部分がある。


自分の信じる所を行うには多少の誤解はしょうがない、


理解されれことが目的ではないのだからといつも自分自身を鼓舞している。

今回で、「憂鬱でなければ仕事じゃない」は終わり。熱い内容で、昭和の日本人の考え方を思い出した。

次回からは「戦略の形成」 内容が濃いので、その中の一章 「第三章 戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争」に関して 1か月間位で紹介していきたいと思います。




【おまけ】


ラグビーのワールドカップが終わった。



ニュージーランドが優勝した。

その結果だけを聞けば順当で予想通りの結果だった。

今回の大会は何の波乱もなく終わったと言えるだろう。

しかし実際の決勝はそんなものではなかった。

フランスが予想以上の頑張りを見せ、

オールブラックスが、極度のプレッシャーで本来の動きができず

外すはずのないゴール、あり得ないミス

躊躇するあまり決定的な攻撃にならないアタックが続き。

本当にギリギリのところまで追い詰められた。

ここでもしニュージーランドが負けるようなことがあれば

「ニュージーランドの人の心の痛みはいかほどのものか」

という思いで見ていたが

最もハッピーな結果に終わった。ラグビー関係者も胸をなでおろしていることだろう

しかし、久々に国の命運を背負っている男たちの真剣な顔を見た。!!

2011年10月22日土曜日

憂鬱でなければ仕事じゃない 第六章②

第六章②

1)スポーツは、仕事のシャドーボクシングである

思考は、思いのほか、生理に影響されるものだ。
それは経験的に誰もが知っている。
いい考え方を持ちたければ、

肉体をコントロールしなければならない。






見城

運動をしてないと、精神衛生にとても悪い。仕事において、リスクを背負ったり、ギリギリのエッジに立ったりするこはしなくなる。

トレーニングは、決して楽しいことではない。始める前は、憂鬱でしょうがない。でも僕は、自分を苦しめていない奴はだめだと思う。自分を追い込み、憂鬱なことを乗り越える。そうすることが、仕事をするときの姿勢に大きな影響を及ぼす。
そもそも仕事とは、憂鬱なものだ。

藤田

仕事は、最後の詰めではやはり気力が勝負になります。気力は耐力によって支えられています。

仕事の能率は、体力に直結している。もともとパフォーマンスが上がる方法で自分を見出し、意思の力で確率できることが、仕事のできる人の条件だと思います。


これだけ忙しい人たちが、こんなにスポーツクラブに通っていたとは少々驚きだ。
自分の場合は、毎日 ゴルフの打ちっぱなしにいって、50球程打っているが、とても運動というレベルには及ばない。


しかし、個人的にはあまりマシンなどで、体を鍛えるというのは好きではない。そんな時間があるなら。ランニングや自転車、フットサルなどの運動の方が楽しくできるのではないかと思う。


最近は、CSでJスポーツという番組を見るようになり、週に2試合はラグビーの試合を見ている。運動はしていないが、頭の中の運動になる。



2)ワイン働く男の「血」である。

イエスは、十字架にかけられる直前に「葡萄酒は私の血」といって、弟子たちに葡萄酒を与えた。

こうして生涯をかけた、彼の仕事は、弟子たちに受け継がれたのだ。



見城

仕事でも運動でも、自分を苦しめた後、自分に何か褒美を与えてやることは、やはり必要だ。

僕の場合は、飯とワインである。

ビジネスに成功すれば、今までのスケールでは測れない驚くべき光景が目の前に現出する。
その快楽は、自分が積み上げてきた努力に比例する。

僕は夜うまいワインを飲むために仕事をしているといっても過言ではない。

藤田

プレッシャーから解放されて、達成感とともに一人でいいワインを味わうときこそ、僕の至福の時と言えるでしょう。

ワインには、仕事への意欲を高めさせる何かがあるのかもしれません。






ワインというと以前毎日飲んでいた時期があった。しかし今は飲んでいない。飲むときはウィスキーが多い。
なぜワインをやめたかというと、ついつい一日1本飲んでしまう(750ml)ので、酒瓶が並んでしまい
その整理がめんどくさかったのと、


やはりカロリーが多いので太る事が最大の理由だ。


しかし、最高の仕事のあとワインを飲むというのは分からないでもない。


脳に何か特別な、ただ酔うだけではない刺激というか、よい影響があるように思う。



【おまけ】

TBSラジオ月曜から金曜 1時から3時30分までパーソナリティをしている小島慶子という人がいて。

そのキラキラという番組は、本音あり笑いあり、社会ネタありと、毎週録音して聞いていて楽しみにしているのだが。




今回その小島慶子の写真集ができた。

年齢は39才 2児の子持ち スタイルもあまり写真集むきであるとはいいがたのだが、逆にそのあたりが話題となっているのか?

ラジオでは、心の中を、写真集では、ビジュアル面を公に公開するその姿勢は、まっすぐな生き方で、ハラハラしつつも、深い感慨がある。