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2011年11月21日月曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 6④

6第二次ポエニ戦争 ④

1)ハンニバル動く

前217年5月、山道の雪が解けると、ハンニバルは野営地を後にしてコリナ峠の地点でアペニン山脈を越えた。

ハンニバルは進軍の途中、自分の軍の側面を故意にさらし、ローマ軍に攻撃を仕掛けるよう誘導した。

突然、ハンニバルは、ローマへ向かうルートから外れ、トラジメーノ湖の北岸に沿いながらペルージャに向けて東に進軍を開始した。







2)ハンニバルの戦略

トラメジーノ湖に続く道は、狭い道が続いていた。

ハンニバルは、高台に軍を配置してローマ軍を待ち伏せ攻撃する態勢をとった。

ローマ軍は何も知らずに追跡、霧の濃い明け方、狭い道を行軍していたところ、ハンニバル軍が猛然と高台を下って戦闘が始まり、その後、二時間、両軍の間で戦闘が続いた。

ローマの司令官は戦士、戦場から離脱した6000人の兵士も帰掃された。

ローマ軍の完全な敗北であった。


ローマの凄いところは、これだけの敗北でもパニックに陥らずに的確に次の手を打ってくるところだと思う。


直接的な戦闘に勝てなくても、ほかに生きる道を見つけるというのは本当にたくましい。






【おまけ】

少し、古い話題になってしまうが、岩崎良美が結婚したそうだ。


その生き方には正直、あこがれを抱いてしまう。

岩崎良美は、姉のひろみの妹としてデビューしたのだが、これとって代表的な曲もなくそこそこにしか売れなかったのだが、

たった一回のラッキーパンチそう「タッチ」の主題歌を歌うというチャンスに恵まれたために。

そんなに必死にならなくても。芸能界で生き残ることができた。

戦略的にいえば理想的な戦いかたと言える。



唯一無二で、今後何十年も色あせることない「キラーアイテム」=「戦略的ポイント」を手に入れることがこれほど重要なことだとは。的確に示すよい例だと思う。

2011年11月19日土曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 6③

6第二次ポエニ戦争③


1)ハンニバル進軍

前218年の6月初旬、ハンニバルはエブロ川を越え、8月半ばまでにはローヌ川に達した。
彼の行く手をはばむローマ軍はいなかった。



ガリア人系のタウリニ族の主な村落を陥落させた後に、ハンニバルは、ポイイ族とインスプレス族の鎮圧のために転用されていたローマ軍が、今やハンニバル軍を追尾できる態勢にあることに気づいた。

2)初の本格的勝利

ハンニバルは複雑な機動作戦を次々と実施し、12月の厳冬の非に、ピアチェンツァの南方においてとれっぴあの戦いが行われた。




結局、ハンニバルはローマ群の3分の2を殲滅させて、第二次ポエニ戦争の戦闘で初めて真の勝利を収めた。


3)どこを守るのか

その後ローマ軍は、イタリア北部の平原を捨て去り、中央部を防衛することを決断する。

なぜなら、イタリア北部の平原がハンニバルの騎兵隊とその同盟軍であるガリア兵に極めて有利な地形であることが判明したのである。




しかし、ローマ軍は、ハンニバルがアペニン山脈のどの地点を超えるのかという点について皆目検討がつかなかった。


ここにおいても、ローマは淡々と現実に対応するあまり精神的にパニックに陥るような人たちではないようだ。


正直、どこから攻めてくるかわからないしかも相当の強敵が迫ってきていれば一定のパニックになってもおかしくないが、その辺がローマの強さなのだろう。


主導権を握られても動揺しないことが重要だ。




【おまけ】

TPPの交渉とは、結局何なのだろうか?

歴史の必然なのか?

アメリカの国益のための要求なのか?




ローマが危機に対応したように、現実を見極めてしたたかに対応する必要がある。

今までの世の中よりこれからの国家運営の方がずっと難しいのだから。

2011年11月18日金曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 6②

6 第二次ポエニ戦争 ②


1)北イタリアに向かって

ハンニバルは、スペインを拠点に戦うよりも、むしろ自軍の通信・交信を自ら断ち切って野営しながら北イタリアにむかって隠密に行動し、そこに軍事拠点を作ることを決心した。このハンニバルの構想は大胆かつ危険な計画であったが、結局のところ勝ち目のなさそうなきわどい代物であった。



2)もしスペインで戦っていれば

歴史の後知恵を借りれば、もしハンニバルがスペインで防衛戦略を採用し、彼の卓越した戦術的な天才を屈指してスペインに送られてくるローマ群を撃退したならば、ハンイバルはイタリア進攻よりもさらに重要な戦果を上げたかもしれない。


3)アルプス越え

しかし、ローマとの消耗戦に敗れたともいえる第一次ポエニ戦争の教訓に鑑みれば、血気にはやるカルタゴの司令官がそのような消極的な戦略を採用する可能性は低かった。



こうして、ハンニバルは四万人の軍隊を率いてスペインを進発した。結局、アルプスを超えて苦労を重ねながらイタリアに到着できた者は、わずか二万6000人に過ぎなかった。


ハンニバルが、スペインで戦っていたら違う結果になったかもしれない。しかし、ハンニバルが現代でも、最も優秀な戦略家の一人として


輝かしい評価を受けているのは、アルプスを超えたからに違いない。


スペインで戦っていたら伝説にはなっていない


ヒーローはいつでも冒険をして未知の世界に踏み込む人なのだと思う。




【おまけ】

イタリアに続いてスペインまで調子がおかしくなってきた。

今の時代はどのように考えればいいのか?

個人的には世界は年々不安定になってきているように感じる。




これだけ文明が発展したのに、毎日 自分の努力ではどうしようもない

事で不安な日々を送っているとは実に不可解だ!!

日本はヨーロッパの国に起きている現状を教訓に

本当にどうしようもなくなる前に改革を進めるべきだと思うが

長年積み重なった利権の構造はやはり破綻するまで続くのか?

2011年11月17日木曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 6①

6第二次ポエニ戦争①

1)ローマの展望

ローマは、第二次ポエニ戦争が第一次ポエニ戦争と同じような戦略的な経緯をたどり、今度はスペインが第一次ポエニ戦争のときのシチリア島の役割を演じるに違いないと確信していたと思われる。





ローマの政治戦略が、イタリア半島を攻撃できる能力を持つすべての根拠地をカルタゴから奪い取ることにあったことは明らかであった。

ローマはイタリアに通じる海上ルートを支配していたため、カルタゴが海上からイタリアを攻撃することは大きな危険を伴った。

そのため、ローマは戦争が戦われる場所を自由に選ぶことができると信じていた。そして陸上での決戦を選択した。




2)スペインとアフリカを戦場に決定


ローマの元老院は、戦争をスペインとアフリカに限定することを目指した。




しかし、アフリカに派遣した兵力は第一次ポエニ戦争で明らかになったように、進攻作戦を実行するには不十分だったためアフリカ内部の部族をそそのかし、彼らに支援を与えて、カルタゴに反旗を翻させるとう方策をとった。





3)ハンニバルの賭け

一方ハンニバルは、イタリアを陸上から攻撃することを決断した。



ハンニバルが目指したのは、ローマの海軍力と陸軍力の真の源泉であるローマの重心を破壊することにあった。

ハンニバルは、ラテン系の諸国やイタリア諸国との間に築かれた同盟のネットワークこそが、ーマの重心でありここを破壊することを目指した。

ハンニバルがその目的を達するためには、同盟諸国のローマへの忠誠心を失わせるか、ローマ軍を会戦で撃滅させるかという二つの方法しか残されていなかった。



第二次ポエニ戦争が開戦したとき、ローマの有利は誰の目にも明らかであったに違いない。


この状況をひっくり返すために、ハンニバルは大きな賭けに出ることになる。


この状況で、ハンニバルという天才が登場したことが、歴史を大きく転換することになる。本当に面白い!!


【おまけ】

フェイスブックをはじめて、半年ほどだが、少しずつ、高校の仲間のネットワークが形成されつつある。

いままではあまり交流がなかった他のクラスの人間とも、緩い、ゆっくりとした交流が始まっている。

少しづつだが、このペースで増えていけばきっと面白いことになるのではと期待している。

あまり、余計なことを書きこまずに粘り強く 「いいね!!」を押していこうと思う。





並行してグーグル+もやっている。

昨日初めて知ったのだが、グーグル+は、友達承認はいらないらしい、そういう意味でツイッターに近い。これはこれでつづけていこうと思う。

SNSの来年の展開はどうなるか楽しみだ!!

2011年11月16日水曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 5③

5勝利の戦果、敗北の代償③



1)カルタゴスペインへ拡大

ローマがアドリア海を越えてイリリア族の凄まじい反乱を鎮圧していたころ、カルタゴはスペインに対する支配を拡大していた。

ハミルカル・バルカの後継者のハシュドゥバルは、巧妙な軍事作戦を速やかに遂行しながら、エブロ川にむけて北方へと進軍した。






2)協定

前226年、ガリア人を憂慮したローマはハシュドゥバルと協定を結んだ。
この協定にはローマがエブロ川以南のハシュドゥバルの征服地に対して干渉しないという保証も含まれていた。




前221年にハシュドゥバルが暗殺された後、ハミルカル・バルカの息子のハンニバルが、ハシュドゥバルの後を継いだ

ハンニバルは拡張戦略を一新し、エブロ川の南にあるサグントに対し、攻撃、包囲、略奪をおこなった。このことが、第二次ポエニ戦争の近因であった。

サグントはエブロ川の南側にあるとはいえ協定により取り決められた境界線であった。





3)最後通牒


ローマはザグントの住民のローマに対する忠節を受け入れていた。ローマはハンニバルにザグントの包囲を解くよう、最後通牒をおこなった。

もしここでカルタゴが撤退すれば、スペインの都市が、雪崩を打ってローマに忠誠を誓うことは間違いなかった。




カルタゴはローマと平和裏に共存できない事を理解した。カルタゴ人にとって、ローマの野心は限界がないように映った。




ローマが仕掛けたのか、カルタゴが仕掛けたのかははっきりしないが、結局雌雄を決しなればならない運命であったのではないか?


この戦いで、ローマとカルタゴは第二次ポエニ戦争で死闘を演じる。


このことが、ローマをさらに強い国へと成長させるのだが、


単純に「成長するにはライバルが必要だ」、などときれいごとでは片づけられない



【おまけ】

2,3日前から右足の親指の付け根が痛い。

通風なのかと、ウイキベディアを調べてみたが、書いてあるような激痛とはいえない。

単なる簡単な捻挫であればいいが。



しかし、そろそろ暴飲暴食を控えないといけないのかと思ってしまった。

食べないと元気が出ないのだが・・・

2011年11月12日土曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 5②

5勝利の成果 敗北の代償 ②

1)カルタゴの弱体化に乗じて

カルタゴの国内抗争が数年続いていた時期に、ローマがカルタゴの危機に乗じる可能性があったが、前241年にカルタゴと結んだ条約を引き続き尊重した。




しかし、前238年、ガリア地方とイリリア地方の状況が落ち着くと、今度は、ローマはサルディニア傭兵からの二回目の要請を巧みに利用して、カルタゴに宣戦を布告した。

疲弊したカルタゴはローマの要求

1、新たに賠償金1200タレントの支払

2、サルディニア島の引渡し

を呑んだ。「完全に正義に反する」ものだった。

結果的に、ローマはイタリア沿岸地域に対して攻撃を加える可能性のある潜在的な軍事基地をさらにひとつ取り除いた


2)ガリアの脅威と新たなる火種スペイン


前230年代を通じて、ローマはガリア地方の部族と小競り合いを繰り返した。



そこで、ローマはスペインを拠点にしていたカルタゴの将軍ハシュドゥバルとの間に協定を急いで結んだ。

⇒ハシュドゥバルのスペインにおける帝国の建設が、ローマとの間の新たな問題の火種になるのではとの見方が強まった


3)ガリア軍制圧

ローマはガリアの制圧のために進軍、総勢5万のガリア軍のうち4万人のガリア兵が命を落とし、生き残った者のほとんどが捕虜となった。

それ以降、ガリアの軍隊がアペニン山脈を越えたことは一度もなかった。




そのころカルタゴはスペインに対する支配を拡大していた。


正義に反するかもしれないが、ローマは自国の安全のために、弱体化したカルタゴに対して新たなる要求をして安全を獲得した。


これが正しいことなこかどうかはわからないが、


この行動でさらなる危機や争いが続くことになる。ここまでくると、戦争は日常であり、それをやめることはできなくなってきているように思う。


このあたりもアメリカによく似ている


【おまけ】

昨日から、Gメール、G+、フェイスブック、Gカレンダーに頻繁にエラーが出るようになったしまった。
今のところ、それほど不自由ではないが、



なぜ、急にこうなことになるのだろうか?全くコンピューターの世界は分からない。




セキュリティソフトの問題なんだろうか?

自然に治ってくれればいいのだが。

2011年11月11日金曜日

戦士国家の戦略 ローマの対カルタゴ戦争 5①

5勝利の戦果、敗北の代償 ①

1)ローマの勝利と講和条件

第一次ポエニ戦争は23年にわたって続いた。ローマは、陸上および海上においてほんのきわどい差でカルタゴに勝利を収めた過ぎない。

ローマが勝利を収めた最重要な要素は、ローマが有した軍事的な技量の高さではなく、ましてや海上での技量の高さでもなかった。むしろ頑強なその粘り強さであった。




前241年、ハミルカル・バルカとローマの執政官ガイウスの両者は講和の条件に関して合意に達した。

・カルタゴはシチリア島から撤退
・すべてのローマ人の捕虜を返還
・2200タレントの賠償金を20年に年賦で支払う

※この金額はカルタゴにとってささやかな額であった。

・両国とも相手国の同盟国に対して攻撃を加えない

結果的に

ローマは南方からの攻撃に対する安全を確保した




2)追加条件とカルタゴの弱体化


議会は後日講和の条件を変更

・さらに1000タレントの賠償金
・年賦払いの10年短縮   
・カルタゴ船籍のイタリア海域における航行の禁止
・カルタゴがイタリアで傭兵を募集する権利を認めない
・シチリア島とカルタゴの間の島々の獲得





結果 カルタゴの生存そのものを脅かすこととなった

・二万人の傭兵が傭兵料の支払いを求めて一致団結
・周辺地域に反乱が広がる


結果的にカルタゴは反乱を鎮圧するが、その勝利のために高い代償を払い、

その後カルタゴは弱体化していく。





戦争に勝利するか敗北するか、その差は小さいものだったが、その結果はあまりにも大きな影響を及ぼす。


勝つことが大切だということか・・・ カルタゴの体制が、カルタゴ=負けない国という前提のもとに成立していたからだろう。


しかし、勝負所は、一人ひとりの人生にも、その国家民族にもある。その後何百年もの運命を決定するだけの力をもつ。


平時に油断せず、勝負どころのために謙虚な気持ちで準備をしておくことが大切だという教訓だと思う。







【おまけ】

自分はゲームをやらないのだが、テレビやラジオを見ていると。ゲームの面白さを熱弁している人が多い。

他のエンターテーメントに比較して、集中してプレイできるらしい。

特にそのゲームの中でレベルを上げることはとても楽しいことらしい。

まったく・・・・らしいとう話ばかりだ。




少し、ゲームというのをはじめてみたいが、なかなかその時間を取るのが難しい。

ドラクエ今更ながらやってみたい・・・その他にも面白いゲームがたくさんあるらしい