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2011年10月19日水曜日

憂鬱でなければ仕事じゃない 第六章①

第六章① 成功への動機付け

1)勝者には何もやるな

勝利すると、誰もが喜びをおぼえる。しかし、すぐある種の空しさが訪れる。その空しさを肯定しよう。
勝利とは単なる通過点にすぎないのだ。




見城

圧倒的な努力を傾け、とてつもなく高い壁を乗り越えたとき、僕は何の褒美もほしくない。また、褒美を前提とする努力など、努力とはいえないと思う。

金銭でも名誉でも褒美を目的にしていては、人が不可能と思うようなことを、実現できるはずもない。

「俺はまだ闘える」と思えること、それだけが大切である。

藤田

実際金を持つと、金などどうでもよくなる。ある所を目指して頑張るプロセスこそが、一番面白いことに気づかされるのです。



仕事は何のためにやるのか、人は何で必死になるのか?


もしお金を得ることだけが仕事の目的なら、すぐ閉塞感に陥る。


自分自身も実体験で褒美を目標とすることで、壁にぶつかりむなしくなってしまった経験がある。


では、何が、必死になるための動機になりうるのか?


それは自分自身の心の声に正直に従うしか方法がないと思う。


そして方向を定めて、一歩一歩確実に進んでいくのだ。



2)ノーペイン・ノーゲイン

painには、苦痛と努力の意味がある。それによってあながわれたものは、自分の体の一部のように、いとおしいに違いない。



見城

葛藤や苦しみのないとことからは何も生まれない。

自分の力で獲得した結果であっても、そのことに寄りかかって生きることは自分を堕落させる。それをゼロに戻してこそ、次のいきいきとした生の実感が味わえる。

大企業にいた人は独立するとたいてい上手くいかない。

苦しみぬいて得られたものにだけ、価値があるのだ。


藤田

「今、スマートフォンの仕事をしているのは、若者ばかりだ。入社1、2年目の社員が、鼻息荒く必死になって頑張っている。お前はあいつらに、死んでも負けるな!!」

先日とある子会社の社長に、強い口調でいいました。

ひとは誰でも成功体験やキャリアに胡坐をかきやすい。それを捨てるのは、とてもつらいことです。

でもそこに安住すると、新しく得られるものはなくなってしまうと思います。





自分が子供のころ昭和40年代50年代は皆、必死だったという記憶がある。それがいつのころからか、


バブル前後だと思うが、ゆとりや自分の人生を楽しむこなどの考えが主流になってきた。


がむしゃらに努力することがかっこ悪いことのように考えられ始めた。


しかし現在の閉塞感の原因がその考え方にこそあるのでは。


この本で著者の二人はひたすら努力し、リスクを取り、勝負をすることを薦めている。


「安定した閉塞感」を選ぶか「不安定で苦しみがあるが充実感のある生活」を選ぶか


大きな岐路に立っていると思う。


【おまけ】

NHKで松下幸之助のドラマをやっていた。

考えると、松下電器産業といいう会社はすごい会社だと思う。




確かに、株価の総額という意味ではそれに匹敵するような会社はいくらでもあると思うが、世の中に与えたインパクトとなると

ものすごい。

20世紀の日本的経営の原型はほぼ松下が作ったといっても過言ではない。

グローバル社会になり、日本的経営が失われてきている。

一方で、日本的経営の価値もここにきて見直され始めている。

現にサーバーエージェントでは終身雇用を採用しているらしい。

さてこれからどうなるか? 日本的経営もバカにできないと思うが・・

2011年10月18日火曜日

憂鬱でなければ仕事じゃない 第五章③

第五章③ 勝ちに行く

1)無謀を演出して、新鮮に変えよ

ビジネスにおいて、すべては効果から逆算すべきである。この視点に立てば、何が最も有効か、自ずと見えてくるはずだ。



見城


鮮やかな成功を得たいなら、世間や業界が何を無謀と思うか考えればいい。そこから逆算して、計画を練ればいいのだ。

鮮やかな成功によって得られるものはとてつもなく大きい。
一瞬にしてブランドができる。ブランドができれば、質の高いビジネスができる。そうなると、ずっと多くのお金が入ってくる。

藤田

世の中のムードや世論は一つの方向に流れやすい。しかし冷静に考えると、おかしなこともたくさんある。そう思った時こそ、チャンスではないでしょうか?

その先には競争相手が一人もいないブルーオーシャン(新しい市場)がまっているのです。



誰もが気が付かないアッというような方法で、鮮やかに成功するほど、痛快なことはない。


人の話しを聞くだけでもワクワクする。


是非そうありたいと思う



2)ヒットは地獄の始まり

「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」という言葉には、確かに含蓄がある。 しかしこと、仕事に限っては、うまくいけばいくほど、やらなければならない課題は多くなる。ほどよいところで終わりにするか、さらにもっと高い壁を自分で作り出して乗り越えるか。それは、その人自身に委ねられている。





見城

売れればれ売れるほど苦しくなる

「ビジネスは、辛くて苦しい。しかし、それは正しいということだ」 ユニクロの柳井正社長の言葉だが、まったくその通り

ヒットを出すのも地獄出したあとも地獄ということなのだ。



藤田

継続的に事業を展開する会社にとってヒットを出すことは、同時にリスクを高めることでもあるのです。

次のヒットを出すためには、より高い目標を掲げ、組織の人間すべての目線を上げさせて、みんなで強いメンタリティを共有しなければなりません。

調子がいい時は、会社が成長するチャンスでもあります。そこで頑張れば、次なるステップの基礎が作れるからです。




出る杭は打たれる。さらに上を目指すには、打たれてもさらに出続けることなのだと思う。


しかし世間は成功者の足を引っ張るのは常だ。


政治家になれば叩かれ、大臣になれば揚げ足を取られ、上にあげられるとまっさかさまに落とされる。


まるで、その落差を楽しんでいるかのようだ。


でも反発が強いとは正しい方向に進んでいる証拠だというのはその通りだと思う。


世の中は間違いなく日々変化していて、いつまでも安住の地にはいられない。


だから困難でも毎日前進するしかないのだと思う



【おまけ】

ここ2,3日家に、パソコンを持ち帰るようにしている。

ルーターのおかげで、どこでもパソコンが同じように使えるようになったので、せっかくだから持ち歩こうと思ったのだ。



うちには2歳半の娘がいて、「アンパンマン」が大好きだ。

ユーチューブで、アンパンマンを調べて、見せてあげたら、次から次へと出てくるので、すっかり家では

パソコンを取られてしまっている。

しかし、ここ数年で随分画質がよくなって、ほとんどテレビを変わらないようなコンテンツもある。

テレビが家の中心にある時代も終わりに来ているようだ。

2011年10月17日月曜日

憂鬱でなければ仕事じゃない 第五章②

第五章②

1)打率三割三分三厘の仕事哲学

確率でわかることなど、ほとんどない。

しかし、ただ一つはっきり言えることがある。

それは世の中のすべてが、確率に支配されていることだ。

人はそれを容易に忘れてしまう。





見城

成功は異常なことなのだ、異常を異常と思わなければ、ついに身を滅ぼしてしまう。

勝った時こそ冷静になり、ここは次の負けを招く要素が潜んでいると思わなければならない。

三打数一安打を自分のフォームでつづけ、アベレージを維持することが、持続的な成功の秘訣である。



藤田

最近の企業経営は、不況も手伝って、できる限り無駄を削るのが主流になっています。

でも、ビジネスに無駄はつきものではないでしょうか?

僕はビジネスには贅肉がある程度必要だと思っています。

失敗するプロジェクト、いざという時調整できる労働力、敵をつくらないための工作資金・・・。

それらを受け入れる余裕が、中長期の継続的な発展につながるのだと思います。



世の中を確率で考えることは、とても大事なことだと思う。そうすればたとえ断られても、失敗しても必要以上に落ち込む必要ない。


予想以上にうまくいっているときは、自然に次におこる大変な事態に備えるようになる。


大変なことが続けば、必ずその分良いことが起こると期待できる。


一回断られると、二度と来ない営業マンがいるがいつももったいないなと思う。


効果は少なくても、営業活動は必ず効果を上げている。それが飽和点まで積みあがれば必ず良い結果が出るのだと思う。






2)「この世にあらざるもの」を作れ

大衆は、自分たちが行けない世界、なれない存在に喝するような興味を覚える。

一方で、そこには行けず、

そうなれあない自分に安心を覚える。

この矛盾こそが、大衆の本性なのだ。





見城

「この世にあらざるもの」とは、日常性を突き抜けたところで、オリジナリティを獲得した極端なものである。

大衆はそれにどうしようもなく惹きつけられる。

「この世あらざるもの」をどう作るか。これを常に考えていければ、たいていのエンターテイメントビジネスはうまくいくだろう。

僕もまた、いつもこれを考えている。



藤田

サイバーエージャントはアメーバによって大きく成長しました。

が、何よりそれを促したのが芸能人のブログです。

インターネットでも、ありきたりなコンテンツでは、アクセスは集まりません。

珍しいものを見たい、秘密を知りたいという人間の根源的な欲求は、現代のネット社会でも変わることはないのです。


エンターテイメントはあらざるものを見せる世界なのかもしれないが、ほとんどの業界は当たり前のことを当たり前にやる事が大事


どこまでそれを貫けるかで、「あらざる存在」になれるのだと思う。





【おまけ】

またまた、ワールドカップラグビーの話題なのだが、ニュージーランドがオーストラリア相手に危なげない勝ちを収めた。




この分だと何の波乱もない大会になりそうだ。

昨日のオールブラックスは強かった。

あのオーストラリアが攻めてをすべて封じられてしまった。

決勝もニュージーランドで決まりだろう。フランスの意地に少しだけ期待しよう。

2011年10月15日土曜日

憂鬱でなければ仕事じゃない 第五章①

第五章① 勝ちに行く

1)すべての道は自分に通ず

ローマ人が、徹底して道路を整備したのは、辺境にすみやかに派兵するためだ。人間関係でも多方面に円滑なルートを作れば、ローマ帝国のような安泰を築ける





見城

文学、政治、音楽、芸能、スポーツ・・・、そんな分野でも、大家といわれう人物三人、そして、これはと思う、新しく出てくる生きのいい三人を押さえる。これが僕の編集哲学だ。


上三人、下三人をおさえると、その中間は勝手にこちらにやってくる。その世界の権威と新鮮なエネルギーをおさえておけば、流れ全体がこちらに向かってくるというものだ。

藤田

意外に思われるかもしれませんが、僕のいるネット業界も実は日本的な狭いムラ社会です。
村社会には、必ず権力の上位に立つキーマンがいます。
何かを新しく働きかけるとき、その人をきっちり押さえておけば、あとは比較的スムーズにいくものです。

ネット業界で言えば、楽天の三木谷さんや、ヤフーの井上雅博さん、GMOの熊谷正寿さんなど、ほかにも何人かのキーマンがいます。

彼らと一切かかわりなく、新しく大成功した会社はほとんどありません。

独立することはもといた会社の世話にならない事だと思い込み、自分だけの力で成功してみせると意気込む人もいます。

現実的に考えたら、それは意味のないひとりよがりにすぎません。独立し、企業したら、まずはじめに信用がない状態をなんとかしなくてはならない。負のスパイラルに自ら進んで入っていく余裕などないはずです。

仕事では、キーマンをおさえることが、信用を売るうえでも大事なカギとなるのです。


ネット業界がムラ社会というのは新鮮だった。 ネット業界というと若者がそれこそ自由に競争している業界なのかと思っていたら、


それは過去の話しということなのだろう。


社会で成功するためにキーマンを抑える事の重要性がよくわかった。一匹狼は幻想でしかないのだろう。







2)顰蹙は金を出してでも買え

斬新で図抜けたことは、必ず人の神経を逆なでする。しかし不思議なことに時がたつと、非難はいつか称賛に変わっている。




見城

戦いに勝ち、結果を出すためには、「あいつはとんでもない奴だ」 「あいつのやっている事は、わけがわからない」
と言われなければならない

創業時の朝日新聞への全面広告
四年目の文庫本創刊
「ダディ」の初版50万部

いくつも業界の常識はずれを連発しそのたびに顰蹙を買った。

常識といいうのは、その業界のリーディングカンパニーが創ったものだ。

それを崩す一番シンプルな方法は、外から風穴を開ける事である。

崩される側は、守勢になり、やがて悲鳴を上げ始める。

つまり、顰蹙とは、くずれおちる者の悲鳴にほかならない。



藤田

上場して会社が大きくなってからも、僕は時おり組織をかき乱すことを意識的にやっています。

新入社員をいきなり子会社の取締役に抜擢したり

年功序列の安心感の中で、ぬくぬく過ごしていては、本当の実力は発揮されないと思っています。

業績の伸びない子会社も、事業内容を全く別のものに変えたり、上層部全員を入れ替えたりする。

変革を恐れない者だけが、先に行ける。とどまったままでは未来は無いと思います。






変化を恐れ現状を維持して、既得権益を守ろうと必死になっている会社、やその人たちも昔はきっとチャレンジャーで変革者だったのだと思う。


一度成功すると、守りに入ってしまうのは人間として当然なことだ。


しかしいづれかは、新規参入者の挑戦を受けざるを得ない。


今、スマートフォンの業界を圧倒的にリードしているアップルも例外ではないだろう。


一方で、江戸時代から何百年も事業を維持している会社はDNAに自ら変革する遺伝子を持っているのだろう。





【おまけ】

今日から、ラグビーワールドカップは準決勝

ニュージーランド対オーストラリア



フランス対ウェールズ  の二試合が始まる

さてこのまま順当にニュージーランドが優勝するのか?それとも思わぬ番狂わせが待っているのか?

ニュージーランドの人は優勝以外は許さないと思うが。

オーストラリアもここ一番は強いのでは。勝つための戦いをしてくると思う。

2011年10月14日金曜日

憂鬱でなければ仕事じゃない 第四章

第四章 人を動かす

1)頼みごと百対一の法則

人から何かを頼まれたときは、出来る限り引き受けるべきだ。その方が距離が一気に縮まっていく。こちらの意向も、通じやすくなる。引き受けるのに足る人だったかどうかは、いずれ答えが出る。



見城

小さな苦しい努力の積み重ねが、やがて大きな仕事となって結実する。

僕は「この人は」と思う人の「お願い」は、たいてい聞くことにしている。

「お願い」は、こちらが苦しいものでないと意味がない。


藤田

仕事は人間がする以上、気持ちの上での「貸し借り」があります。

ビジネス社会はやはり人間社会です。どこまでも人間的な感情がついてきます。

僕の実感からいって、メディア界や芸能界には「貸し借り」に敏感な人がとても多い。逆に、若手が多いネット業界は鈍い人が多い。



困ったことがあると、自分はチャンスだと思う。頼りになりそうな人に順番にお願いをしたり、相談をしたりして回ってみる。


すると、いろんなことがわかる。同じ相談をされてもその反応は人それぞれだ。頼りになると思っていた人が


随分冷たかったり、ほとんど期待していなかった人が親身になって助けてくれたりする。


そんな経験を通じて自分が思ったのは、人がお願いや相談に来るのは「本当に困っている」からなのだ。









2)無償の行為こそが最大の利益を生み出す


何の報いも期待されず何かを与えられた者は、どう思うだろう?

何としても相手に多くかえしたいと思うに違いない。

そこに人を動かす力の本質がある。



見城

角川書店を退社し、幻冬舎を立ち上げたときは、大変だった。百人が百人とも「あいつはこける」とそう考えていた。

四面楚歌の中、僕は朝日新聞に全面広告をだし、幻冬舎をスタートさせた。

その時そっぽを向いた書き手もたくさんいた。しかし僕からの依頼を快く引き受けてくださった方々もいた。

人間は、苦境にいる時、手を差し伸べてくれた人にことを、何より大切にするものなのだ。


藤田

ネットバブルが崩壊し、苦しいとき、親身になって僕にアドバイスをしてくれたのが、楽天の三木谷社長でした。

こういうことは、人として誠意にかかわる問題だと思います。

僕と堀江貴文さんは、盟友ともいえる関係です。

ライブドア事件後、僕は堀江さんが保釈された日、同じマンションをに住む彼を訪ねました。

それまで堀江さんとは疎遠だった時期がありました。でもあの訪問が僕と堀江さんの「距離」を再び近づけたように思えてなりません。

調子が良いときよりも悪いときに世話になったほうが強く印象に残るものです。





会社の経営が、結局のところビジネス書に書いてあるようにはうまくいかないのは、そこに人の心が関わっているからだと思う。


そんなことは今も昔もあまり変わらないのだろう。


今すぐ利益にならないことでも、それが大切だと思えば行動しておく必要がある。自分の直感を信じることが大切だと思う。










3)天使のようにしたたかに 悪魔のように繊細に

キリスト教の世界観によれば、悪魔とは、堕落した天使のことである。悪魔と天使とは、本質的に同じものなのだ。
私たちもまた、時と場合により、どちらにでもなればよい。




見城

何かをしてもらうと、人は相手に対して恩義を感じる。だから、天使のような振る舞いをするのは実は「したたか」なことなのだ。

このことを自覚するとしないとでは、大きな違いがある。


藤田

2010年、決算賞与を社員一人あたり平均100万円づつ配りました。告知せず、いきなり決算の時に配ったのです。

僕の狙いは、決算賞与を出すことで社員の仕事に向ける最後の粘りを引き出すことでした。

この時僕は、「したたかな天使」になりました。





したたかであったり、計算高かったりすることは必要だと思うが、


長期的に見ると、正直であることや、真摯であることが最も合理的で計算高い行為のような気がする。


お客さんが真剣であればあるほど、結局はすべて見抜かれている。



4)良薬になるな 劇薬になれ


独にも薬にもならない人間には、何も為せない。

そして人は、薬にばかりなりたがる。

しかし、何かを激変させる力があるのは、薬でなく毒のほうだ。



見城

フランスの調香師の話し

「いい匂いを求める争いは、極限まで来ています。これ以上いい匂いの元は、世界中どこを探し回っても見つからない。あとは、どんな悪臭を入れられるか? 一滴の悪臭を入れることで、いい匂いが、今までに無い極上の香りになるんです。今、我々はそのキーとなる悪臭を探す競争をしているのです」

香水における悪臭は、人間にとっての劇薬となる。


藤田

以前きれいごとばかり言う人は、責任感が足りないということをツィッターに書いたら、大きな反響がありました。
きれいごとばかり言う人は、結局、リスクヘッジをしているのだと思う。




きれいごとはつまらない。本音で毒ばかりはいていると生きにくい。


本当にこの世は住みにくいのだが、その中を縫ってでも本音をぶつけてくる人がいる。


とても魅力的だ。


つまらない正論が通ると本当に残念な気持ちになる。


「どうせ100年後には誰もいないんだから・・・」という開き直りが必要だ。


自分が本当に譲れないことははっきり言うしかない。






5)他者への想像力をはぐくむには、恋愛しかない

創造力はすぐ、身に付くものではない。生きる家庭で、徐々に育っていくものだ。これは、仕事人としての成長と、相等しいと言っても過言ではない




見城

人を動かすことが、あらゆる仕事の原点である。そのために必要なものは他者への想像力である。

他者への想像力がある人は、人を惹きつけることができる。気持ちがわかってもらえたと思うと、その人は損得を超えて、相手のためになることをしようとする。

創造力をはぐくむにはどうすればよいか? 恋愛をすることである。


藤田

人を動かすうえで最も重要なのは、相手の立場になることです。

相手の立場がわかると、仕事の幅がぐっと広がるようになるのは間違いありません。僕自身、相手の立場が理解できる世になるたび、経営者として成長した気がします。

あてずっぽうで推し量っても、決して人は動かないのです。




人に対する、創造力という話になると、就職したての会社で人間関係で苦労したことが本当に役に立っている。


就職したばかりの自分は、会社というのはラグビーチームと同じで全員が会社の利益のために全力で立ち向かうものかと思っていた。


そのためかなり、いろんな人とぶつかり苦労したのだが、


そんな時、同期の友人は「人に応じて、対応を変えるのがコツ」というアドバイスをもらった。


それから、周りの人に関心をもつようになった。


そう考えると、人は本当にいろいろな事情を抱えている。


結婚しているかどうか、子供がいるかどうが、家を購入してローンを抱えているかどうか


学生時代に運動部で活躍したかどうかなど・・・


それからは、意見が合わない人に合うと、その人がなぜ「そういう意見を言うのか」という背景を創造し、


相手を理解するチャンスと考えるようになった。


気が合わない人を理解するよう努力すると自分の世界が広がるような気がする。


【おまけ】

最近、世間ではかたづけがブームになっているようだ。

うちでも、妻がかたづけに興味を持って毎日努力している。

少しずつだが、確実に成果が出ているのはとても嬉しい。




今の世の中は選択肢が多い、整理整頓しておくことが必要だと思う。

2011年10月13日木曜日

憂鬱でなければ仕事じゃない 第三章

第三章  人身を掴む



1)切らして渡せなかった名刺は速達で送れ

一期一会というひとの出会いに関する極めて日本人的な感覚。
これをビジネスで生かす技術を身につけよう。
それはまた、したたかな戦略的思考にもとづくものである



見城

必ず立ち上ってあいさつする

一枚の名刺を笑う者は、大きな仕事に泣く



藤田

名刺にはかつてのような存在感がなくなってきているのではないでしょうか?

名刺の価値観は世代によってはっきりと違います。今はまさに過渡期なのだと思います。

若井ビジネスマンは、相手を見て、臨機応変に対応しなければなりません。



名刺に関してはどう考えればいいのだろう?明らかに名刺交換したかしないかを重視している人もいるし


あまり気にしていない人もいる。最低限 名刺を切らさないように気を付けておこう。


個人的にはあまり気にしていない。要は話が面白いかどうかだから!!






2)天気の話しでコミュニケーションを図るホテルマンは最低である

結局、人を動かすのは言葉である。何気なく、つい、無造作に交わしている会話に敏感になること、それが有能なビジネスマンになるための第一歩だ。


見城

天気の話しをあいさつ代わりにすることは、日本人にとって、一種の習慣である

でもこれほど安直なコミュニケーションの取り方もないのではないか?
コミュニケーションの基本は会相手の心に触れることである。
対人関係における努力とは、つまるところ、サービスである。



藤田

見城さんの言動の特徴のは二つあると思います

一つは 表面的なことを嫌うこと。

もう一つは凡庸なことを嫌うこと

あるときから、何が本当で何が嘘だかわからないような人との付き合いはなるべく避けるようになりました。

仕事のコミュニケーションは、大抵直接的です。

僕は人とかかわる時、率直で自然体でいることを心がけています。



確かに、天気以外の話しをされると、印象に残るのは確かだ、しかしこの人にあまり深く立ち入ってほしくないときは天気の話しは一番いい。


あと、単純に相手と話を自然に始めるときは、共感できる話を先に持ってくるのは普通のことだし、かなりの可能性でうまくいく。


例えば、初対面の相手と話を始めるときは「今日は暑いですね」とか 「ここのコーヒーはおいしいですね」とか出来るだけ最初の答えが「イエス」になる質問から始めるようにしている。


これは高校の時友達から教わったテクニックで、質問の答えが予想できる質問から話を始めると話やすい。





3)行く気がないのに、今度、飯でもと誘うな

期待と落胆の繰り返し、それが人生である。人は裏切られるたび、期待をうすれさせてゆく。
このような干からびた期待にこたえることは、相手にとって奇跡に等しい




見城

一度口に出したことは必ず実行しなければならない。クラブのホステスに対しても同様である。

あらゆる人間関係は信頼で成り立っているのだ。



藤田

「今度、飯でも行きましょう」やはり極力避けるべきでないでしょうか?

普段何気なく言っている言葉でも、実はかなり「損」につながるものもある。


行く気のないのに「飯に行こう」といったりするのは自分の場合はよくあることだ。大学の時、あいさつ代わりで「今度映画見に行こう」とか「今度スキーに行こう」とかいう人がいて、


実際に企画すると言い出した本人が来なかったり。


そんなことに慣れてくると、自分もそういうことを言うことが多くなった。


やってみるとこれは意外と楽で、最近でも相手の様子をうかがうだけのために「今度飯にでもいこう」とか「飲みに行こう」とか行く気もないのにあいさつ代わりにつかってしまう。


これも要するに相手に応じて臨機応変に使い分けるしかない





4)初対面の相手をカラオケには行くな


習慣は第二の天性と言われるほど、人の内側に深く食い込んでいる。それをやめるのは、たやすいことではない。

しかし、その向こうには道の自由な世界が広がっている。




見城

カラオケなどしょせん時間つぶしにすぎない。お互い、ない時間を割いて会っているのに、なぜ貴重な時間をわざわざ空費しなければならないのか?

相手の心を掴みたいなら、初対面でカラオケや高級クラブには行くべきではない。

作家なら→作品をきちんと読み込んで批評

歌手なら→アルバムを聴きまくって感想を

女優なら→できる限り出演作を見て、その演技を話をする




藤田

僕は社員ともに見行く機会を多く作っています。
その一方である部署の打ち上げに行くのは、つい最近やめました。

理由はカラオケばかりで盛り上がってしまい、ゆっくり話ができないからです。



本当に盛り上がった飲み会は絶対にカラオケに行かない。


いやカラオケボックスに入っても「歌を歌わない」歌おうと思わない 何故ならしゃべりが面白いから!!


そんな飲み会ができたとき。自分は心の中で「勝った」と思う。


カラオケは所詮コミュニケーションにとって逃げでしかない。






5)刺激しなければ、相手の心は掴めない

人は、自分に新しい発見をもたらしてくれるものに貪欲である。

相手に「おや?」と思わせる、ひっかりのある言葉。それはたった一言でも、自己アピールの何万語より勝る。




見城

相手の心を掴むためには、まず相手のことを知り、そこを突破口にしなければならない。

自分ではなく、相手のことを言う。これが難攻不落の相手とコミュニケーションを取る際の基本である。



藤田

要はハットさせられるような一言を言えるかどうか。それも自分のことでなく相手のことで!!

上手い人は、いきなり興味を引く話を持ちかけてくる。こちらは身を乗り出して聞いてしまう。

そして「この人は何者だろう?どんなバックボーンなのだろう?信用して大丈夫だろうか?」

と感心を持ち始めたとき、初めて自己紹介を始めるのです。


気が利く人というのは相手の観察がよくできている人のことだろう。


気が利けばおそらく仕事もできるのに違いない。


豊臣秀吉なその代表だと思う。


自分の場合、相手を褒めるようにしている。


それもできるだけ間接的に


「だれだれが言ってましたよとか・・・聞きましたよとか」


「可愛い犬ですねとか」 「娘さん可愛いですね」とか


人間は褒められるのに弱い  特に自分は弱い


しかし、正面から褒められると身構えてしまう。間接的な褒め言葉は大抵成功する。


それも一部真実が入っていないとだめだが。





【おまけ】

どういう会話をすればいいのか、どうすれば人に興味のある話ができるのか。とても難しい。

しかし、会話以上にむずかしいのはフェイスブックに何を書き込めばいいかだ。




フェイスブックを初めて4か月位たつが、最近は「いいね!」ボタンを押すことしかしてない。

何しろ、友達リクエストがあったときは基本的に承認しているので全然知らない人が見ていることになる。

そんなことを考えると面白い事が書きにくい。かといってつまらないことは書きたくない。

でも、少しずつやっていきたいとは思っている。というのは少しずつだが知り合いが増えてきているからだ。