JALは
かつて日の丸を背負い
日本という国を代表する航空会社として
尊敬と親しみの念をこめ
「ナショナルフラッグキャリア」と呼ばれていた
前身の旧日本航空の創設は
昭和26年8月1日のこと
その二年後
政府と民間が10億円づつ
合計20億円を出資する特殊会社の体裁が整い
国際線の定期運行にも乗り出す
1961年には2部上場
9年後の1970年1部上場
・ジャルパックの投入
・ニューヨーク便の開設
・世界一周航路に就航
・ジャンボジェットの導入 社業は順調に
一方 1985年 御巣鷹山の航空事故
⇒中曽根首相が政府主導の経営改革に乗り出す カネボウ会長 伊東淳二氏を送り込んだ
航空会社は空港の発着枠
運賃の改定の際許認可が必要
⇒政治家や官僚との関係が密接に
⇒JALは政治家と官僚の意向に左右される半人前の会社から脱皮することが
難しくなった
「ナショナルフラッグキャリア」という言葉は
とても名誉な言葉で
もし1960年当時JALに入社すると考えると
エリートそのものであるように思う
ところが
一方で航空会社は単なる交通手段ともいえる
ましてや、年々海外に渡航する人が増え、飛行機の利用が一般的なものになっていけば
国を背負っているという自負と
単なる交通手段という矛盾は次第に大きくなり大きな問題となってきたのではないか?
【おまけ】
今日の日経に
ユニクロの柳井社長が
「大学改革」の必要性を訴えていた
なるほど、教育の改革は国の根本.の問題だ
特に自分が大学に通っている頃の教育の内容はひどかった
近年は多少の反省があり
海外との大学との競争意識が入り
かなり改善してきているように思うが
学生の学習意欲、若者の上昇志向に
充分に答えるものになっているかといえばそうでもない
柳井さんが言うように、働きながら必要な時に必要な
な勉強ができる環境を整えることが理想的なのだろう
⇒人材の交流の場になることができればさらに良い成果がでてくる
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