トップに抜擢されることになった
最後の社長 西松遥氏のサラリーマン人生
経理・財務畑ひと筋のスペシャリストとして会社に忠誠を尽くしてきた
「兼子天皇」の異名をとり、社内の誰もが畏怖の念を抱いていた
兼子社長に対し
西松氏は実直な経理マンらしく諫言を繰り返した
「このような決算を繰り返していて
わが社は機材の更新で遅れを取り、生き残りですら危うい事態を迎えることになる」
危機の実態を伝えようとする西松氏の心遣いだった
どうにもならなくなってから、社長になるというパターン
本来、会社が順調であったなら
決して社長のポストが回ってこなかったところに
回ってくる
しかしその時には完全に手遅れ
そういえば山一証券の時もそうだったような気がする
【おまけ】
今週、研修で赤坂付近に行ってきた
昼休み暇だったので、
周辺を散歩
赤坂周辺も随分と新しい建物が
「これが有名な赤坂サカスか・・」
いい感じの街になっていた
たまには東京見物も悪くない。
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