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2013年1月18日金曜日

JAL再建の真実 第二章 最後の社長 西松遥の闘い 頑固一徹の経理部長

トップに抜擢されることになった

最後の社長 西松遥氏のサラリーマン人生




経理・財務畑ひと筋のスペシャリストとして会社に忠誠を尽くしてきた


「兼子天皇」の異名をとり、社内の誰もが畏怖の念を抱いていた


兼子社長に対し

西松氏は実直な経理マンらしく諫言を繰り返した


「このような決算を繰り返していて

わが社は機材の更新で遅れを取り、生き残りですら危うい事態を迎えることになる」


危機の実態を伝えようとする西松氏の心遣いだった



どうにもならなくなってから、社長になるというパターン

本来、会社が順調であったなら

決して社長のポストが回ってこなかったところに

回ってくる

しかしその時には完全に手遅れ

そういえば山一証券の時もそうだったような気がする


【おまけ】

今週、研修で赤坂付近に行ってきた

昼休み暇だったので、

周辺を散歩



赤坂周辺も随分と新しい建物が

「これが有名な赤坂サカスか・・」

いい感じの街になっていた

たまには東京見物も悪くない。


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