森ビルの物置小屋時代から
大勢いたアルバイトに情報を伝えるために
⇒壁にビラを貼った
「日立造船様より『企業への招待』受注!」
やがてビラは垂れ幕に⇒サークルののりだった
日本リクルートセンターとなった、昭和38年からは
⇒社内報を発行した
・個人の業績を掲載
⇒昇給や賞与に個人差をつけることへの不満を和らげた
昭和46年 月刊社内報『かもめ』を発刊
そこでは、社員の座談会が開かれ
⇒経営への提言やマネジメントへの批判的な記事もあった
個人が能力を発揮する環境には
自由にやれる、競争があるというだけでなく
帰属意識とか、仲間意識とかが必要なのだと思う
リクルートは新しい会社だけあって
風通しのよい情報交換が行われ
⇒それが、帰属意識、仲間意識につながっていたのではないか?
【おまけ】
昨日のニッポン放送のザボイスという番組で
青山繁春という人が言っていたのだが
日本海にはメタンハイドレートという資源が大量にあり
今後日本が資源輸出国になる可能性があるとか
メーカーが外国に出ていかざる負えない状況の中で
新しい雇用を生み出すことができるのか?
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