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2011年7月12日火曜日

もしドラッカーの『マネジメント』をもしどらの分析を通じて考察したら 第三章②

「もしドラ」第三章にドラッカーの「マネジメント」がどのように引用されているか?


Ⅰ 仕事を生産的なものとし、働く人に成果を上げさせる

『みなみは、夕紀の人を観察し、情報を引出し、分析する能力に関心し、さらに夕紀に仕事の成果を出させようと努力を始めた』そこで参考にした『マネジメント』の一節



マネジメントは、生産的な仕事を通じて、働く人たちに成果をあげさせなければならない。

焦点は、仕事に合わせなければならない。仕事が可能でなければならない。

仕事がすすべてではないが、仕事がまず第一である。






「働き甲斐が必要である」それを与える方法として

働き甲斐を与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない。そのためには、

①生産的な仕事

②フィードバック情報

③継続学習が不可欠


『みなみは具体的な努力を始めた』








Ⅱ 専門家に成果を上げさせる




『みなみは監督の加地を野球部のマネジメントに参画させようとした。加地はドラッカーの『マネジメント』の中に出てくる「専門家」そのものだった』


専門家にはマネージャーが必要である。

自らの知識と能力を全体の成果に結びつけることこそ、専門家にとって最大の問題である。

専門家にとってはコミュニケーションが問題である。




自らのアウトプットが他の者のインプットにならないかぎり、成果はあがらない。

専門家のアウトプットは知識であり情報である。

彼ら専門家のアウトプットを使うべき者が、彼らが言おうとしていること、行おうとしていることを理解しなければならない。




専門家は専門用語を使いがちである。

専門用語なしでは話せない。

ところが、彼らは理解してもらってこそ初めて有効な存在となる。

彼らは自らの顧客たる組織内の同僚が必要とするものを提供しなければならない。





このことを専門家に認識させることがマネージャーの仕事である。

組織の目標を専門家の用語に翻訳してやり、逆に専門家のアウトプットをその顧客の言葉に翻訳してやることもマネージャーの仕事である



言い換えると、専門家が自らのアウトプットを他の人間の仕事と統合するうえで
頼りにすべき者がマネージャーである。


専門家が効果的であるためには、マネージャーの助けを必要とする、マネージャーは専門家のボスではない。



道具、ガイド、マーケティングエージェントである。



逆にマネージャーの上司となりうるし、上司とならなければならない。教師であり教育者でなければならない。










『みなみは自分たちが加地の「通訳」となることで、加地の能力を野球部のマネジメントに生かすことを決意する』







【おまけ】

長年、とはいってもここ半年位の迷いがなくなってきた。

スマートフォンを、アンドロイドにするかアイフォンにするかという問題である。


アンドロイドを使いこんでくるうちにアンドロイドとアイフォンの違いがよく見えてきた


というのも、アイフォンがいいと思っていた理由が

1)ラジコの録音を再生することができること


2)デザイン的に優れていること


3)カメラ機能、ビデオ機能がすぐれていること

であった。


一方アンドロイドの良いところは


1)Gmailをはじめとしたグーグルサービスとの互換性がいいこと


2)自由にソフトをダウンロードできること


などであった。




迷っていた大きな理由として、ラジコの録音が聞けるかどうかという問題であったが、

アンドロイドをいじっているうちに、音楽再生ソフトが何本もあることに気が付いた

試しにダウンロードして、ラジコで録音したMP3ファイルが再生できるかやってみた。

これが何とかできることがわかった。

そこで、気が付いたのは アイフォンは音楽再生に関して、アイチューンというソフトを使わなければならない

この縛りはじつはすごく不自由なものだということがわかった。

もう一つは音楽再生ソフトは何本もでているので、デザインと機能が自分に合っているものを使う方がいいということだ。

考えてみれば、自分の場合、一日前に録音したラジコだけを聞ければいいので、音楽再生機能に関しては

単純な方がありがたい。それにダウンロードしたソフトがなかなかデザインがクールだった。




あれこれ言わずに 結論としては、スマートフォンは「アンドロイド携帯」を採用したいと思う。

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